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常設

 
展示情報(常設)
2014/01/21

常設展「三重ゆかりの文学と文学者展」  平成27年1月~

| by システム担当者

三重の古典籍

資料名

著編者

出版社

出版年

校本万葉集 1佐々木 信綱/編校本万葉集刊行会1925
古事記伝 巻1 再校本居 宣長/著永楽屋東四郎1844
古事記伝 巻2 再校本居 宣長/著永楽屋東四郎1844
源氏物語玉の小櫛 1本居 宣長/著須原茂兵衛 
日本書紀通証 巻1谷川 士清/著五條天神宮1762
和訓栞 1谷川 士清/著須原屋茂兵衛 
伊勢物語拾穂抄 3北村 季吟/著長尾平兵衛1680

三重ゆかりの文学

資料名

著編者

出版社

出版年

歌行燈泉 鏡花 /作岩波書店1988
丹羽文雄選集 第2巻丹羽 文雄 /著改造社1948
斎藤緑雨全集 巻5斎藤 緑雨/[著]筑摩書房1997
ある老歌人の思ひ出 佐佐木 信綱 /著朝日新聞社1953
桜の森の満開の下 坂口 安吾 /[著]講談社1989
雪解横光 利一 /著養徳社1945
梟の城司馬 遼太郎/〔著〕講談社1959
荒木又右衛門長谷川 伸/著新小説社1935
名張少女田山 花袋/著岡村書店1930
赤目四十八滝心中未遂 車谷 長吉 /著文芸春秋1998
檸檬梶井 基次郎/著十字屋書店1940
潮騒三島 由紀夫/著新潮社1954
尾崎一雄第一小説集尾崎一雄/著砂子屋書房1938
乱歩文献データブック平井 隆太郎/監修,中島 河太郎/監修名張市立図書館1997
半島へ稲葉 真弓/著講談社2011
独石馬宮 柊二/著白玉書房1983
南船北馬田山 禄弥/著博文館1899
海やまのあひだ釈 迢空/著改造社1925
拙堂紀行文詩 上斎藤 拙堂/著拙堂会1931
拙堂紀行文詩 下斎藤 拙堂/著拙堂会1931
山岳紀行六種 [1]松浦 武四郎/著大修館書店1978
山岳紀行六種 [2]松浦 武四郎/著大修館書店1978
山岳紀行六種 [3]松浦 武四郎/著大修館書店1978
山岳紀行六種 [4]松浦 武四郎/著大修館書店1978
山岳紀行六種 [5]松浦 武四郎/著大修館書店1978
山岳紀行六種 [6]松浦 武四郎/著大修館書店1978

三重ゆかりの文学者

資料名

著編者

出版社

出版年

授幼絶句選 上津阪東陽/[自筆]  
蛍の河伊藤 桂一/著文芸春秋新社1962
肉体の門田村泰次郎/著風雪社1947
近藤啓太郎河出書房新社1967
遠星山口誓子/著創元社1947
星醒記山中智恵子/著砂子屋書房1984
厚物咲中山義秀/著小山書店1938
遠景と近景駒田信二/著勁草書房1983
砲車長谷川素逝/著三省堂1939
滄浪歌岡野弘彦/著角川書店1972
死とその周囲中谷 孝雄/著河出書房1940
鷹の胸橋本鶏二/著牧羊社1982
猿簔集 正 続松尾芭蕉/著 1698
犯罪幻想江戸川 乱歩/著東京創元社1956
俳諧之連歌獨吟千句[荒木田 守武/著]  1652
北園克衛民族社1936
愚の旗 限定版竹内 浩三/著,中井 利亮/編集松島こう1956
青粧生方たつゑ白玉書房1955
静夜俳話嶋田青峰春秋社1925
孔雀船伊良子 清白/著左久良書房1906
展示期間
平成27年1月21日水曜日 から
三重県立図書館
所在地 514-0061 三重県津市一身田上津部田1234番地 
電話 059-233-1180
ご意見・ご感想は電子メールで mie-lib@milai.pref.mie.jp まで
16:50
2014/01/05

常設展「俳句のくに-三重の俳句と歴史-」平成26年1月~平成26年11月

| by システム担当者
  • 荒木田守武
    展示資料:『誹諧之連歌獨吟千句』、『世中百首絵鈔』、『守武霊社奉額集』
  • 大淀三千風
    展示資料: 『俳諧紀行全集』
  • 松尾芭蕉
    展示資料:『猿簔集 正 続』、『芭蕉翁絵詞伝 上・中・下 復刻』、『奥の細道』、芭蕉真蹟掛軸「蛤の」画付色紙 (複製)、
    掛軸 発句自画賛(複製)、芭蕉真蹟掛軸「無常迅速」懐紙(複製) 
  • 中川乙由
    展示資料: 『梅のしつく』、『伊勢新百韵』、『麦林集 下』
  • 二日坊宗雨
    展示資料: 『伊勢桜』
  • 三浦樗良
    展示資料: 『樗良集 1』
  • 嶋田青峰
    展示資料:  『静夜俳話』、『青峰集』、『俳句の作り方』、『海光』、『土上俳句集』、『俳誌 土上 大正12年12月発行』
  • 山口誓子
    展示資料: 『七曜』、『激浪 改訂版』、『遠星』、『晩刻』、『青女』、『和服』、『構橋』、山口誓子書付茶碗、句幅、色紙
  • 長谷川素逝
    展示資料: 『砲車』、『ふるさと』、『村』、『暦日』、『定本素逝集』、『桐の葉 創刊号』、『桐の葉 第7号』
  • 橋本鶏二
    展示資料: 『年輪』、『松囃子』、『山旅波旅』、『俳句実作者の言葉』、『汝鷹』、『鷹の胸』、軸、短冊
  • 同人誌
    展示資料: 『煌星 創刊号』、『煌星 95号』、『菜の花 創刊号』、『菜の花 579号』、『南風 584号』、『南風 790号』、
    『芭蕉伊賀 創刊号』、『芭蕉伊賀 168号』、『三重俳句 153号』、『三重俳句 740号』、『深雪 137号』、『深雪 409号』、
    『山繭 創刊号』、『山繭 385号』
  • 句集
    展示資料: 『道の一句』、『三重県俳句協会年刊句集 1』
展示期間
平成26年1月5日日曜日 から 平成26年11月5日水曜日
三重県立図書館
所在地 514-0061 三重県津市一身田上津部田1234番地 
電話 059-233-1180
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16:47
2012/12/06

常設展「三重の歌人と歌」  平成24年12月~平成25年9月

| by システム担当者
  • 岡野弘彦
    展示資料:『冬の家族』、『滄浪歌(そうろうか)』、原稿、色紙
  • 生方たつゑ
    展示資料: 『青粧』、『白い風の中で』、『額田姫王』、色紙
  • 山中智恵子
    展示資料:『紡錘』、『星醒記』、『斎宮女御徽子女王』、『斎宮志』、『続斎宮志』
  • 佐佐木信綱
    展示資料:『おもひ草』、『絵入幼年唱歌』、『明治大正昭和の人々』、色紙
  • 本居宣長
    展示資料:『 鈴屋集』、『古今集遠鏡』(文溪堂版)、『後鈴屋集』、和歌掛幅、和歌短冊
  • 近世和歌(国学関係)
    展示資料:黒澤翁満 短冊、橘守部 短冊、足代弘訓 短冊、『穿履集選 蓬壺草文辞』(橘守部著)、
    『足代弘訓翁家集』、『荒木田久老歌文集並伝記』
  • 大田垣蓮月・高畠式部
    展示資料: 大田垣蓮月 短冊・和歌幅、『蓮月・式部二女和歌集』、高畠式部 短冊、『麦の舎集』
  • 三重の歌
    展示資料: 『海やまのあひだ』、『独石馬』、『西行全集』
  • 荒木田守武
    展示資料: 『誹諧之連歌獨吟千句』、『世中百首絵抄』、『荒木田守武集』
展示期間
平成24年12月6日木曜日 から 平成25年9月17日火曜日
三重県立図書館
所在地 514-0061 三重県津市一身田上津部田1234番地 
電話 059-233-1180
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16:47
2010/12/11

常設展  平成22年12月~平成24年9月

| by システム担当者
  • 斎藤緑雨(1867~1904) 河曲郡神戸新町(現鈴鹿市神戸)出身。小説家、評論家。
    展示資料:『緑雨集』、『わすれ貝』、『校訂一葉全集』、書簡
  • 尾崎一雄(1899~1983) 度会郡宇治山田町(現伊勢市浦田町)出身。小説家。
    展示資料:『暢気眼鏡』、葉書、色紙
  • 駒田信二(1914~1994) 大阪府生まれ。本籍は三重県安濃郡安西村(現津市)。小説家、中国文学者、文芸評論家。
    展示資料:『壺中の天』、『遠景と近景』、原稿「大岡さんと講演をした話」、陶器
  • 近藤啓太郎(1920~2002) 四日市市出身。小説家。
    展示資料:『海人舟』、『海』、『素朴な味』、色紙、肖像画
  • 江戸川乱歩(1894~1965) 名張郡名張町(現名張市)出身。小説家。
    展示資料:『乱歩打明け話』、『探偵小説四十年』、『犯罪幻想』、「別冊宝石」42号、色紙
  • 丹羽文雄(1904~2005) 四日市市出身。小説家。
    展示資料:『海戦』、『ソロモン海戦』、『還らぬ中隊』、「少女クラブ」昭和21年9月号、色紙
  • 田村泰次郎(1911~1983) 三重郡富田村(現四日市市富田)出身。小説家。
    展示資料:『銃について』、『肉體の悪魔』、『肉體の門』、『春婦傳』、「春婦傳」映画ポスター、色紙
  • 中谷孝雄(1901~1994) 一志郡七栗村(現津市)出身。小説家。
    展示資料:『京は人を賤うす』、『死とその周囲』、「鈴」9号、11号、12号、13号
  • 伊藤桂一(1917~ ) 四日市市出身。小説家、詩人。
    展示資料:『螢の河』、『生きている戦場』、『静かなノモンハン』、書簡
展示期間
平成22年12月11日土曜日 から 平成24年9月30日日曜日
三重県立図書館
所在地 514-0061 三重県津市一身田上津部田1234番地 
電話 059-233-1180
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16:47
2009/03/06

常設展  平成21年3月~平成22年11月

| by システム担当者
  • 荒木田守武(1473~1549) 伊勢国生まれ。神官、連歌師。
    展示資料:『俳諧之連歌独吟千句』、『世中百首』
  • 大淀三千風(1639~1707) 伊勢国生まれ。俳人。
    展示資料:『大淀三千風翁萬部小三郎研究遺稿集』、『仙台大矢数』(天理図書館善本叢書)
  • 岡野弘彦(1924~) 一志郡美杉村(現津市)生まれ。歌人、国文学者。
    展示資料:色紙、原稿「古代の霊歌・現代の悲歌」「家郷忘じがたし」
  • 北園克衛(1902~1978) 度会郡四郷村(現伊勢市)生まれ。詩人。
    展示資料:書簡、原稿「恩地孝四郎の詩と版画」、『若いコロニイ』
  • 嶋田青峰(1882~1944) 志摩郡的矢村(現志摩市)生まれ。俳人。
    展示資料:色紙、短冊、『靜夜俳話』『青峰集』『俳句読本』
  • 橋本鶏二(1907~1990) 阿山郡小田村(現伊賀市)生まれ。俳人。
    展示資料:掛軸
  • 長谷川素逝(1907~1946) 少年時代及び教員時代、津市に在住。俳人。
    展示資料:書簡、『村』『ふるさと』『暦日』『定本素逝集』
  • 山口誓子(1901~1994) 四日市市・鈴鹿市に13年間在住。俳人。
    展示資料:色紙、句幅、短冊、山口誓子書付茶碗、『七曜』
  • 横光利一(1898~1947) 阿山郡東柘植村および上野町に少年時代在住。小説家。
    展示資料:色紙、水墨画、書簡、原稿「動揺の限界」
展示期間
平成21年3月6日金曜日 から 平成22年11月28日日曜日
三重県立図書館
所在地 514-0061 三重県津市一身田上津部田1234番地 
電話 059-233-1180
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16:46
2008/03/29

常設展  平成20年3月~平成21年2月

| by システム担当者
  • 江戸川乱歩(1894~1965) 名張郡名張町出身。小説家。
    展示資料:原稿「黒い虹」、書簡、『探偵小説四十年』、『灰神楽』、「別冊宝石」42号
  • 尾崎一雄(1899~1983) 度会郡宇治山田町出身。小説家。
    展示資料:原稿「冬眠居漫談」、書簡、『暢気眼鏡』、『こほろぎ』
  • 近藤啓太郎(1920~2002) 四日市市出身。小説家。
    展示資料:色紙、肖像画、『陰の色彩』、『海』、『奇妙な冒険』、『海人舟』
  • 斎藤緑雨(1867~1904) 伊勢国神戸出身。小説家、評論家。
    展示資料:書簡、『緑雨集』、『わすれ貝』
  • 田村泰次郎(1911~1983) 三重郡富田村出身。小説家。
    展示資料:原稿「風の中」、書簡、『旅情』、『地獄から来た女』
  • 丹羽文雄(1904~2005) 四日市市出身。小説家。
    展示資料:原稿「たがね」、色紙、『菩提樹 上・下』
  • 本居宣長(1730~1801) 伊勢国松坂出身。国学者。
    展示資料:掛物、『源氏物語玉之小櫛』、『玉勝間』、自筆先触
  • 佐佐木信綱 (1872~1963) 鈴鹿郡石薬師村出身。歌人。
    展示資料:原稿「歌人としての九條武子夫人」、色紙、書簡、『思草』、『新月』、「短歌」2月号
  • 松尾芭蕉 (1644~1694) 伊賀国上野出身。俳人。
    展示資料:掛物、『おくのほそ道』、『貝おほひ』、『和漢朗詠集墨帖』
展示期間
平成20年3月29日土曜日 から 平成21年2月22日日曜日
三重県立図書館
所在地 514-0061 三重県津市一身田上津部田1234番地 
電話 059-233-1180
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16:45
2005/09/07

常設展(俳人編)  平成17年9月~平成19年10月

| by システム担当者
  • 荒木田守武 (1473~1549) 伊勢国宇治出身。連歌・俳諧作者。
    展示資料:「俳諧之連歌独吟千句」「世中百首絵鈔」「守武霊社奉額集」
  • 松尾芭蕉 (1644~1694) 伊賀国上野出身。俳人。
    展示資料:「貝おほい」(複製)「奥の細道画巻」(複製)「おくのほそ道」「『蛤の』画付色紙」(複製)「松尾芭蕉詩と風雅」「芭蕉翁絵詞伝」(複製)「和漢朗詠集墨帖」
  • 大淀三千風 (1639~1707) 伊勢国飯野郡射和村出身。俳人。
    展示資料:短冊、仙台大矢数(天理図書館善本叢書)
  • その他の近世俳諧 二日坊宗雨編「伊勢さくら」、笹丘高編「春事帖」、抱月窓右雄編「風の声」、与謝蕪村「俳諧三十六歌僊」、竹内玄玄一「俳家奇人談」、緑亭川柳「俳人百家撰」
  • 嶋田青峰 (1882~1944) 答志郡的矢村出身。俳人。
    展示資料:色紙、短冊、「青峰集」「土上」「セヴァストオポリ」
  • 山口誓子 (1901~1994) 四日市市・鈴鹿市に在住。俳人。
    展示資料:句幅、書付茶碗、書簡、「七曜」「激浪」
  • 長谷川素逝 (1907~1946) 少年時代及び教員時代、津市に在住。俳人。
    展示資料:「砲車」「ふるさと」「村」「暦日」「定本素逝集」
  • 橋本鶏二 (1907~1990) 阿山郡小田村出身。俳人。
  • 展示資料:短冊、色紙、原稿「長谷川素逝」、「年輪」「松囃子」
展示期間
平成17年9月7日水曜日 から 平成19年10月8日月曜日
三重県立図書館
所在地 514-0061 三重県津市一身田上津部田1234番地 
電話 059-233-1180
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16:44
2005/06/01

常設展  平成17年6月~平成17年7月

| by システム担当者
  • 江戸川乱歩 (1894~1965) 名張郡名張町出身。小説家。
    展示資料:原稿「黒い虹」、色紙、「犯罪幻想」、「別冊宝石」42号
  • 横光利一 (1898~1947) 阿山郡東柘植村および上野町に少年時代在住。小説家。
    展示資料:原稿「動揺の限界」、画幅、色紙、「雪解」「旅愁」
  • 尾崎一雄 (1899~1983) 度会郡宇治山田町出身。小説家。
    展示資料:原稿「ある晴れた日に」、色紙、「二月の蜜蜂」
  • 山口誓子 (1901~1994) 四日市市・鈴鹿市に在住。俳人。
    展示資料:短冊、色紙、「伊勢」
  • 北園克衛 (1902~1978) 度会郡四郷村出身。詩人。
    展示資料:詩稿「曲線的なアルゴ」、詩集「風土」、「moonlight night in a bag」、「VOU」
  • 丹羽文雄 (1904~2005) 四日市市出身。小説家。
    展示資料:原稿「たがね」、色紙、書簡、「鮎」、「文学者」
  • 田村泰次郎 (1911~1983) 三重郡富田村出身。小説家。
    展示資料:原稿「『肉体の門』の娼婦たち」、書簡、色紙、絵皿、「肉体の門」映画ポスター、「東京派」昭和6年4月号
  • 近藤啓太郎 (1920~2002) 四日市市出身。小説家。
    展示資料:原稿「写楽は西洋人」、色紙、「海」、黒田征太郎「近藤啓太郎肖像画」
  • 岡野弘彦 (1924~) 一志郡美杉村出身。歌人・国文学者。
    展示資料:原稿「家郷忘じがたし」、色紙、「冬の家族」、「滄浪歌」
展示期間
平成17年6月1日水曜日 から 7月27日水曜日
三重県立図書館
所在地 514-0061 三重県津市一身田上津部田1234番地 
電話 059-233-1180
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16:43
2004/12/01

常設展  平成16年12月~平成17年4月

| by システム担当者
展示期間

平成16年12月1日水曜日 から 平成17年4月20日木曜日

三重県立図書館
所在地 514-0061三重県津市一身田上津部田1234番地
電話 059-233-1180
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松尾芭蕉

1644年(寛永21)6月3日~1694年(元禄7)10月12日 伊賀国上野(現伊賀市上野赤坂町)出身 
(一説に伊賀市柘植とも) 俳人

松尾与左衛門の次男で、幼名を金作、長じて甚七郎、忠右衛門と称す。元服後、宗房(むねふさ)と名乗り、また宗房(そうぼう)と音読して俳号にも使った。若いころ、藤堂藩の良忠に仕えたが、良忠が病死したのを機に仕官を断念した。
1672年(寛文12)、29歳の芭蕉は、上野天満宮に処女作『貝おほひ』を奉納し、俳諧師として世に立つべく江戸に下る。37歳の時、深川に住み、翌年、庭前の芭蕉の株にちなんで「芭蕉庵」と称した。 
1864年(貞享1)、41歳の8月、『野ざらし紀行』の旅に出発、以降10年間、51歳の死に至るまで、そのほとんどを旅で過ごす。
紀行文としては、『笈(おい)の小文』『更科紀行』『おくのほそ道』がある。また、芭蕉のかかわった俳書としては、『冬の日』『春の日』『曠野(あらの)』『ひさご』『猿蓑(さるみの)』『炭俵』『続猿蓑』があり、これらは『俳諧七部集』と呼ばれている。 
芭蕉の俳諧は、日本の中世以来の文学の伝統を継承し、それを広く庶民文学の中に生かすとともに、さらに新しく、より深く発展させたものといえよう。「さび」「かるみ」などは、いずれも和歌や連歌などが理想とした美的理念を、俳諧の庶民性の中にあらわしたものである。 
芭蕉は51歳の冬、大阪で永遠の旅につく。墓地は近江の義仲寺にあり、また、伊賀上野の愛染院には、遺髪を納めた「故郷塚」がある。

展示品解説

  1. 掛軸 発句自画賛あかあかと 日はつれなくも 秋の風    はせを
    『おくのほそ道』(元禄15・1702刊)所収。金沢に向かう道中での「途中吟」。落款は「鳳尾」「風羅」。原資料は天理大学図書館蔵。複製。
  2. 掛軸 発句 懐紙無常迅束(じんそく)/頓(やが)て死ぬ けしきもみえす 蝉のこゑ    芭蕉桃青北枝編『卯辰集』(元禄4・1691刊)所収。同年刊の『猿蓑』巻二には「頓て死ぬ けしきは見えす 蝉の声」とある。落款は「芭蕉」「桃青」。原資料は個人蔵。複製。
  3. 『奥の細道』(元禄5・1692頃執筆) 寛政元・1789刊 井筒屋庄兵衛 再板
    「あかあかと 日は難面も あきの風」は、金沢へ向う7月半ばの発句。旧暦では秋の初めにあたる。
  4. 『泊舩集』風国編 元禄11・1698刊 井筒屋庄兵衛板
    芭蕉の遺稿・遺詠を集めた〈編集物〉としては最初のもの。巻一に「野ざらし紀行」を「芭蕉翁道の紀」と題して初めて出版、巻二~巻五は「芭蕉庵拾遺稿」と題して芭蕉の発句を、巻六には芭蕉・門人等の発句を「追加となし」て収めている。  「頓て死ぬ けしきも見えす 蝉の声」(巻三)
  5. 『俳諧七部集 三 猿蓑』井筒屋庄兵衛板
    『猿蓑』は去来・凡兆編、元禄4・1691成立。巻一~巻四は発句、巻五には歌仙、巻六には芭蕉「幻住庵記」等を収める。
     「頓て死ぬ けしきは見えす 蝉の声」(巻二)
  6. 『俳人百家撰 全』緑亭川柳 編・雄斎国輝 図  嘉永8・1855刊 和泉屋市兵衛板
    編者自序に「只古をしのぶ心もて遂に俳人百撰とはなしぬ」とある。三重県関係の俳人としては、松尾芭蕉・荒木田守武・大淀三千風・中川乙由の他、高島玄札・杉田望一・太白堂桃隣・園女・猩々庵といった名が見える。
松尾芭蕉松尾芭蕉
荒木田守武荒木田守武
大淀三千風大淀三千風
中川乙由中川乙由
高島玄札高島玄札
杉田望一杉田望一
太白堂桃隣太白堂桃隣
園女園女
猩々庵猩々庵

三重の国学・和歌

松阪の本居宣長(もとおりのりなが)は、古典研究と国学思想の大成者として、近世を代表する学者の一人である。その私塾鈴屋(すずのや)には全国から多くの俊秀が集い、すぐれた国学者を輩出した。宣長の没後も、その学問は長男春庭(はるにわ)・養嗣子大平(おおひら)へと受け継がれていく中で、急速に庶民層に浸透し、全県域に拡大していった。しかし、三重の国学の発展には、内宮神官荒木田久老(あらきだひさおゆ)及びその一門の活躍が一方にあり、中南勢を中心に多くの門人を擁したことも見逃せない。 
近世後期には久老門で春庭・大平にも学んだ山田の足代弘訓(あじろひろのり)が寛居(ゆたい)塾を主宰、その学頭となった佐々木弘綱(ひろつな)は石薬師に竹柏園(なぎぞの/梛園)という私塾を開き、それぞれに精力的に活動を展開、その影響を県内全域に及ぼしている。また、和歌山の出身で、同じく春庭・大平の門人となった桑名の富樫(鬼島)広蔭(ひろかげ)は言幸舎(ことさちのや)という私塾を開き、東海道を中心に諸国に多くの門人を擁した。 
三重の国学者としては、他に、山崎闇斎(あんさい)の垂加神道(すいかしんとう)の影響を受け、上記国学者たちとは異なる立場で古典・語学研究の成果をあげた谷川士清(ことすが)や、独自の学問を築いた黒沢翁満(くろさわおきなまろ)、橘守部(たちばなのもりべ)など枚挙に暇がない。 
なお三重の和歌は近世中期以降は国学者を中心として隆盛をみるが、その濫觴(らんしょう)は伊勢神宮内宮神官の伝統的文芸としての神宮法楽和歌など、神宮を中心とする盛んな活動と影響も看過できない。

(『三重県史 資料編』近世5 による)

展示品解説

  1. 本居宣長 和歌短冊しきしまの やまと心を 人とはゝ/朝日にゝほふ 山さくらはな    宣長
    本居宣長 (享保15・1730~享和元・1801)は国学者・医師。松坂の商家に生まれ、のち、紀州藩に仕える。国学の大成者。
  2. 橘守部 和歌短冊山家/山さとに ひとりつくつく たのしきは/ありしみやこの 手ふり成けり    守部
    橘守部 (天明元・1781~嘉永2・1849)は国学者。三重郡朝日町に生まれる。のち、江戸に出、「天保の四大家」に数えられる。
  3. 黒澤翁満 和歌短冊ゆきの/中のうめ/いかならむ 春のみのりは よしやあしや/まつめつらしき 雪のうめかゝ    翁満
    黒澤翁満 (寛政7・1795~安政6・1859)は国学者・桑名松平藩士。のち、藩主に従って武州に移り、大坂で没する。
  4. 大田垣蓮月 和歌短冊紅葉の/ちり/けるを/みて/おほそらに たか手向つる ぬさならん/かせも紅葉の いろになるまて    蓮月
    大田垣蓮月(れんげつ) (寛政3・1791~明治8・1875)は伊賀上野藩老藤堂某の娘。京都知恩院で尼となったのち、和歌・陶芸で名を知られる。
  5. 本居大平 書簡服部三郎右衛門(時方)宛
    本居三四右衛門大平は本居宣長の養嗣子。服部時方は服部中庸(なかつね)(宣長の門人で『三大考』の著者)の養子。手紙文中「水月翁」は中庸の号。「兵馬」は大平の次男清島(きよしま)。
    猶々已来添状の儀 状重々相成候故/御互に無用仕度候 必々御用捨可被下候
    先達ては御状被下 辱致拝読候
    残暑の節 弥御揃御清栄に
    可被成 御重奉賀候 然は
    水月翁より御状一 御届申上候 御落
    手可被下候
    一 毎々乍御世話 本町迄別封
    一通 為御届可被下候様 奉希候
    先は右御頼申上度 如此届候 早々 以上
    八月十日     本居三四右衛門/兵馬
    服部三郎右衛門様
  6. 黒澤翁満著『源氏百人一首湖月抄』 松軒田靖 書・棔斎清福 画 天保10・1839刊 金花堂 初版黒澤翁満が『源氏物語』の登場人物123人について、その詠んだ和歌を各々1首ずつ選び、易しい解説を加えた本。橘守部らが序を書いている。
  7. 大田垣蓮月・高畠式部著『蓮月 式部 二女和歌集』 明治元・1868刊 金屏堂大田垣蓮月と高畠式部(天明5・1785~明治14・1881)二人の和歌99首を、「四季・恋・雑」の6部に収めた歌集。高畠式部は松阪に生まれ、千種有功・香川景樹等に和歌を学んだ歌人。二人は当時、代表的女流歌人として並び称された。なお、この作品は『現代短歌体系 第1巻』(昭和27 河出書房)に翻刻されている。

佐々木弘綱  (1828~1891)

掛軸竹をめつる詞

佐々木弘綱(文政11・1828~明治24・1891)は、本居春庭・大平の弟子であった足代弘訓に教えを受けた国学者・歌人で、佐佐木信綱の父。藤堂藩藩校・有造館や帝国大学などで教鞭をとり、国文学研究・和歌の分野で業績を残した。

竹をめつる詞

草木にめてたきかあまたある中に 木にもあらす艸にもあらぬと昔人のいひし竹なん
ことにめてたき まつ鶯の寝坐をしめて暁を覚えぬ比の眠をさまし 目をつゝらかに
囀り出たる いひしらすのどけし 夏は生出たる子の見ることにすくすくとのひゆくさまのみかは
葉分の風の清くすゝしき 秋は葉こしの月のもとさへひかりて いとさやかなるに かくや
姫のおひいてしさまもかくや といとをかし 冬は雪にたわみたるけしきはいふへくもあらす 夜
折の声はいとあはれなり かくひとゝせなからけいきいとめてたけれは 唐倭の人のなへてめて
たきためしにいひよすなるは けにさる事にて 年ことに生そはりしけりもてゆくは
うからやからのときはかきはにさかえゆくさまにたゝへつへくなむ あなめてたの
竹や あなめてたのすかたや

伊勢の国人  佐々木弘綱

佐佐木信綱

1872年(明治5)6月3日~1963年(昭和38)12月2日
鈴鹿郡石薬師村(現鈴鹿市石薬師町)出身
歌人 国文学者

1888年(明治21)帝国大学(現東京大学)古典科卒業後、父弘綱の志を継ぎ、作歌及び後進育成に当るとともに、歌学研究と著作活動を通じて、歌壇・学界に多大な貢献をした。 
歌人としては、1898年(明治31)、門人組織「竹柏会」の機関誌『心の華』(のち『心の花』)を創刊、短歌革新運動に加わり、「ひろく、ふかく、おのがじしに」をモットーとした。1903年(明治36)、歌集『思草(おもいぐさ)』により、新派歌人・信綱の名が広まった。
  
願はくは われ春風に 身をなして 憂ある人の 門をとはゞや

は歌人としての抱負を詠んだものである。主情的で温雅平明な調べは、三重の風土に培われた信綱の人柄と歌風を象徴していよう。歌集は『新月』『常盤木(ときわぎ)』『豊旗雲(とよはたぐも)』『鶯』など、全部で12冊ある。ほかに、文部省唱歌「夏は来ぬ」の作詞者としても知られる。 
国文学者としては、古典の翻刻・活字本による刊行など、古典普及につとめた功績が大きい。1925年(大正14)には、『校本万葉集』全25巻を完成し、以後の万葉研究に恩恵を施した。『日本歌学史』『和歌史の研究』『近世和歌史』は、和歌・歌学・歌謡研究の成果である。 
一方では、生涯にわたって郷土三重の文化振興のため援助を惜しまなかった。生家は鈴鹿市に寄贈され、隣接の佐佐木信綱記念館とともに公開されている。

展示品解説

  1. 色紙 短歌人の世に よき春来る 喜の 光もたらし よき春来る    信綱『常盤木』(『佐佐木信綱歌集』)所収
  2. 色紙 短歌鴨の群 羽音はげしう 海にゆく 林のうへの 有明の月    信綱『新月』(大正元・1912刊)所収
  3. 書簡斎藤輝子宛昭和28年12月1日
    斎藤輝子氏は斎藤茂吉夫人。袱紗の贈り物や、自分の著書(『ある老歌人の思ひ出』(昭和28年・1953年)刊)の感想等が書かれた手紙に対する礼状。
    斎藤夫人御許           佐佐木信綱
    山庭はみかんのいろうつくしく候 此ほとは御状忝く/拝見候 間島刀自御祝の茶会に御出席との御事 さた/めて御喜と存上候 当方は東京会館にまゐり候 写真/御らん下され候よし 百余人の盛会に候ひき/老歌人の思ひ出御覧下され候との御事 斎藤様の/思出猶いろいろ有之 御しのび申上候事に候/アララギよりうるはしきふくさいたゞき画をあのやう/に立派に御ゑかきの事ははじめて承知いたし候 さんさくに/御画御願申さばよろしかりしにとしのび上候事に候/延引ながら御請まで 早々 十二月一日
  4. 著書『わが文わが歌』昭和22(1947)年 六興出版部 初版
    随筆と旅の歌を中心とした自選歌集。「松坂の一夜」「本居宣長の母」「孝子万吉碑」「伊勢石薬師村」など、三重県に関する小文も見える。
  5. 著書『明治大正昭和の人々』昭和36(1961)年 新樹社 初版
    自序に「明治のよき時代に生れて、幸に今年数へ年九十の齢を迎へた自分は、多くのよき人々を知る好機会に恵まれた」とある。250余名の中に、三重県関係では、本居豊穎・斎藤緑雨・松本幸四郎・尾崎行雄・松浦武四郎・御木本幸吉・高畠式部・橘糸重らの名が見える。
  6. 編書『標註 七種百人一首 全』明治26(1893)年 博文館 初版
    「小倉百人一首(藤原定家撰)」の他、「新(足利義尚撰)」「後撰(二条良基撰)」「続(佐々木弘綱撰)」「近世(佐佐木信綱撰)」「源氏(黒沢翁満撰)」「修身(佐佐木信綱撰)」の六つの「百人一首」を収める。

丹羽文雄

1904年(明治37)11月22日 ~ 2005年(平成17年)4月20日 四日市市出身  小説家

四日市の真宗高田派の末寺崇顕(そうけん)寺の長男として生まれる。4歳の時、母が旅役者と出奔する。このことが、作品のモデルだけでなく女性観にも深い影響を与えた。
富田中学校(現四日市高校)卒業後、文学を志し、早稲田大学第一高等学院、同大学国文科へと進む。在学中から同人誌に多くの作品を発表し、寺崎浩、火野葦平らを知る。卒業後も半年程東京に残るが、志半ばで帰郷、僧侶生活に入る。しかし、文学への未練断ち難く、永井龍男の勧めで書いた「鮎」(1932)が好評だったこともあり、これを機会に再度上京する。上京後、 「贅肉」の“生母もの"や「海面」の“マダムもの"という系列の愛欲の世界を鋭く描いた作品を発表して注目され、流行作家となる。戦時中は報道班員として、「還らぬ中隊」などの“戦記もの"を発表。戦後は、愛欲を中心とした「鬼子母神界隈」などの風俗小説を多く発表した。しかし、中村光夫との風俗小説論争後、「幸福への距離」などの“実験小説"を試みるように なった。「厭がらせの年齢」は今日的問題を含み、評判をよんだ。1953年(昭和28)発表の「青麦」で父親を書き、父親を考えることから宗教を真正面からとらえるようになった。そして、親鸞の思想をテーマとした“宗教小説"(「親鸞」「蓮如」)へと進んだ。
他方、個人誌『文学者』を刊行し、新人の育成に努めた。四日市市立図書館には「丹羽文雄記念室」が設置されて、多くの資料が集められている。 

展示品解説

  1. 原稿「自然」(200字詰原稿12枚)
    初出不明。『新居』(昭和11・1936 信正社)収録の「自然描写について」と内容がほぼ重複するが、字数はその約2倍。小説における自然描写の重要性を述べている。「自然描写について」が抽象的であるのに比べ、本稿は、横光利一や志賀直哉などの名を挙げて、より具体的に述べている点に特徴がある。
  2. 色紙「丹羽君の像」似顔絵と自筆讃
    墨による似顔絵の署名は「凡」か。不明。 讃は丹羽文雄の自筆。
    「我が顔も かほどまでとは 知らさりき/目と眉毛の 八の字あはれ    文雄」
  3. 著書『海戦』昭和17・1942刊 中央公論社 初版
    丹羽が海軍報道班員として従軍、巡洋艦鳥海に乗り、同年8月に体験した「第1次ソロモン海戦」を描いた戦記小説。丹羽のいた艦橋に敵弾が当り、丹羽は負傷したが、内地へ帰還できた。本作は第2回中央公論社文芸賞を受賞。装幀は中村研一。後年、『創作の秘密』(昭和51・1976 講談社)の中で丹羽は、軍部により削除を受けた箇所があった事や、戦中・戦後に受けた不当な批評等に触れつつ、本作品を「見なければならないものにおびえたり、戦慄したり、目を蔽ったりするものではな」い「私の散文精神」の表われ、としている。
  4. 著書『ソロモン海戦』康徳10・1943刊 国民画報社 初版
    『海戦』の、満州国での版。内表紙に「駐満海軍武官府検閲済」とある。表題作の他、「艦内生活の断片」「ラバウルの生態」「海戦」等、9編を収めている。
  5. 作品収録雑誌『少女クラブ』昭和21年9月号 講談社
    同誌は少女向け月刊誌。丹羽文雄作「黒猫」を載せている。田舎に引越してきた10歳の少女の黒猫に対する思いを描いた短篇小説。挿絵は向井潤吉。
    本誌には他に、北園克衛の詩「詩人の家」・生方たつゑの短歌「あこがれ」等を収録している。

田村泰次郎

1911年(明治44)11月30日~1983年(昭和58)11月2日  四日市市出身  小説家

1929年(昭和4)、富田中学校(現四日市高校)卒業後、早稲田大学第二高等学院に入学。更に同大学大学部仏文科に進む。高等学院二年生の時、学友と同人誌『東京派』を創刊。創刊号に「意識の流れ統整論」というジョイスの「ユリシーズ」の手法に関連した評論を書く。また、大学卒業直前に『新潮』からの注文を受け、卒業論文には力を入れずに「選手」を書く。そのため、教授会で田村の卒業が問題にされるという「事件」を起こしたりした。この作品は少年剣士たちの烈しい練習と快い疲労とに明け暮れる生活の哀歓を描いたものである。 
1940年(昭和15)4月、応召し、久居の第33連隊に入営する。いったん、除隊の後、同年11月、再応召し、中国山西省遼県の分哨陣地に一兵卒として任に着き、その後、敗戦まで戦場を転々とする。 
敗戦後、溜まりに溜まったものを吐き出すかの如き活動が始められる。中国人女性捕虜と一兵士との恋愛を主題とした「肉体の悪魔」、有楽町辺りのパンパンガールと呼ばれた街娼たちを描いた「肉体の門」により、田村のその当時の作品は肉体文学と呼ばれるようになった。これらの作品は、「肉体の門」を例にとれば、劇化されて1000回に及んで上演されるなど、文学の枠を越えて人々に迎えられた。
なお、当館は夫人から寄贈された著書を含む全資料約9,000点を所蔵しており、閲覧もできる。 

全資料

展示品解説

  1. 原稿「豊田三郎への手紙」昭和10年頃
    豊田三郎は小説家。「文芸通信」は昭和8年から12年にかけて発刊された文芸雑誌。この文章は、豊田が同誌に発表した評論に対して書かれた小論である。この中で田村は、「映画や通俗大衆文学を一言の下に否定する」「横着で古い文人気質」が「純文学を今日の始末にしてしまった」とし、「貪婪に、逞しく生きるために文学をやる」態度を主張している。
  2. 葉書 東京・森谷均宛 昭和15年5月17日付 歩兵33連隊(久居)配属時
    田村の応召は同年4月末。この時は3ヵ月間の訓練の後、一旦帰京する。文中、「河田の詩集」とは、学友で、共に同人雑誌「東京派」を創刊し、昭和9年に亡くなった河田誠一の遺作『河田誠一詩集』のこと。装幀は草野心平が担当した。
    わざわざ御兄より頂き有難く存じ/ます。折角御近づきになりながら、突然応/召し残念です。幸ひ元気でやつてゐます故/御安心下さい。河田の詩集は、草野君と、河田/井上友一郎君とに宜敷頼んで来ました。/どうか宜敷御願ひ申上げます。毎日辛い 演習で手紙を書くひまもありません。また/いつか帰京出来る日を楽しみにして/ゐます。東京はもうセルの季節でせう。/ 御健在にて。         草々
  3. 作品 裸婦 レリーフ 鉄製ペーパーウェイト 草野心平 箱書
    美術家たちとの交流も深く、一時期は画廊も開業するほど美術を愛した田村は、自らも美術制作に携わり、個展も何度か開催している。
    詩人・草野心平との交友は学生時代以来である。
  4. 作品収録雑誌『会誌 第36号』昭和4・1929刊 三重県立富田中学校校友会
    当時最上級生であった田村泰次郎は、「文苑」に「Marcus Aureliusとの対談」、「紀行」に「第二回諸兵連合演習に参加して」、「剣道部々報」に「追懐」(共著)を載せている。「部報」の中では「我が部の覇将」「北勢の白袴」と形容されており、その活躍ぶりが窺える。

山口誓子

1901年(明治34)11月3日~1994年(平成6)3月26日  四日市市および鈴鹿市に12年間在住  俳人

京都市上京区岡崎町に生まれる。京大三高時代に「暑さにだれし指悉く折り鳴らす」が『ホトトギス』に初入選、その感覚性のゆえに世人を瞠目させた。東京大学法学部の時に、水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)らとともに直接高浜虚子の指導を受けた。ホトトギス派からはは、誓子・秋桜子・高野素十(たかのすじゅう)・阿波野青畝(あわのせいほ)が出て“四S時代”を作った。大学卒業後、大阪住友合資会社に入社。
1941年(昭和16)9月、肋膜炎の療養のため四日市市富田に移住した。その後、1946年(昭和21)四日市市天ヶ須賀海岸、1948年(昭和23)鈴鹿市白子町鼓ヶ浦へと伊勢湾沿いの地を転々とする。1953年(昭和28)年10月に三重県を離れるまで、その間の句を収めたものとして、『七曜』(1942)『激浪』(1946)『遠星』(1947)『晩刻』(1948)『青女』(1951)『和服』(1955)の6冊がある。 
誓子の主張する「感動は物から受けたひらめきだ。感動のひらめきは『物と我』とが一つになった状態」という境地は、この北伊勢の自然風土を自らと一体化できるものとして凝視しつづけた中から生まれた。そ の全生涯の中で最も充実かつ成熟した時期であった。 
1948年(昭和23)には、主宰誌『天狼』を創刊し、「根源俳句」を提唱した。 
波に乗り 波に乗り鵜の さみしさは 
露更けし 星座ぎっしり 死すべからず 
つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華

展示品解説

  1. 色紙 俳句せりせりと 薄氷(うすらひ)杖の なすまゝに    誓子 『遠星』(昭和22・1947刊 創元社)所収。季語は「薄氷」、季節は春。
  2. 短冊 俳句麗しき 春の七曜 またはじまる    誓子 『七曜』(昭和16・1941刊 三省堂)所収。季語は「春」。「七曜」とは、「一週」の意。誓子は後年「自句自解」(昭和49・1974刊『鑑賞の書』所収)の中で、この句について、「麗しき春の、七曜と七曜との継ぎ目にあって、来るべき七曜をよろこび迎えようとしている」と、自ら解説している。
  3. 茶碗(書付)「七曜」東翠明 作箱書は「七曜」。茶碗の胴(側面)に「七曜」「麗春」「誓子」。高台脇(側面下部)に「翠明」の銘がある。東(大正8・1919生)は石川県の陶芸家。昭和43年頃の作品と思われる。
  4. 散文集『夜月集』昭和14・1939刊 第一書房「序」で誓子は、「この集の意図は、現代俳句の宣明にある。俳壇の動向を指し、作品を評し、作家を論ずる」と書いている。表紙画は林良(りんりょう)筆。林は15世紀・中国(明)の画家
  5. 共著(野尻抱影)『星恋』昭和21・1946刊 鎌倉書房野尻(明治18・1885~昭和52・1977)は英文学者・随筆家で星の研究家。作家・大佛次郎はその実弟。本書は、星に関する誓子の俳句と野尻の随筆を組み合わせた作品である。誓子は当時、転地療養のため富田(四日市市)にいた。本集には、富田の夜空を詠んだ句が多数収められている。

北園克衛

1902年(明治35)10月29日~1978年(昭和53)6月6日  度会郡四郷(しごう)村(現伊勢市朝熊町)出身  詩人

父橋本安吉、母ゑいの二男。本名、橋本健吉。兄橋本平八(1897~1935)は日本美術院同人で、独創的な木彫で知られる彫刻家である。
四郷村立尋常高等小学校(現伊勢市四郷(しごう)小学校)、宇治山田市立商業学校(現宇治山田商業高校)、中央大学経済学部を卒業する。 
1924年(大正13)、詩誌『GE・GJMGJGAM・PRRR・GJMGEM』を創刊し、1929年(昭和4)、第一詩集『白のアルバム』を刊行。1931年には宇治山田出身の岩本修蔵と詩誌『白紙』を創刊する。1935年創刊の詩誌『VOU』は、1978年に160号で終刊するまで北園克衛が編集発行した。この『VOU』は、形象・非形象について、あるいは言葉の機能について、理論的に裏づけされた詩の実験をたえず試み、斬新なデザイン感覚と、きびしい芸術家精神を持ち続けた北園克衛に私淑して集まった多くの詩人たちの拠点であった。
北園克衛の著作は、詩集、英文詩集、訳詩集、短編小説集、句集、評論集など38冊にのぼるが、絵にも写真にもポエジイ溢れる作品を残し、海外の詩人との交流にも積極的であった。北園克衛の詩は非経験主義による作品が多い中で、リリカルで「郷土詩」と自称する作品もかなりある。30歳半ば以降、帰郷しなかった彼ではあるが、これらはあきらかに故郷朝熊のイメージによる作品である。伊勢市朝熊町には生家が現存している。 

展示品解説

  1. 原稿「恩地孝四郎の詩と版画」(250字詰 13枚)
    初出不明。執筆は昭和30年以降である。 恩地孝四郎(明治24・1891~昭和30・1955)は版画家・装本家・詩人。日本を代表する装本家の一人である。北園の著作では、『夏の手紙』『サボテン島』の2作品の装幀をしている。
  2. 年賀状徳田戯二宛昭和42年
    徳田戯二(明治31・1898~昭和49・1974)は小説家。北園がまだ本名(橋本健吉)で創作活動をしていた昭和初年頃、徳田の主宰する雑誌に作品を載せていた事がある。ルネ・マグリット(1898~1967)はベルギーのシュルレアリスム(超現実主義)の画家。
  3. 詩集『サボテン島』昭和13・1938刊 アオイ書房
    内表紙に自筆サインがある。書容構成(装幀)は恩地孝四郎。170部限定出版。
  4. 詩集『火の菫』昭和14・1939刊 昭森社
    挿画及び装幀は東郷青兒。212部限定出版。
  5. 詩集『空気の箱』昭和41・1966刊 VOUクラブ
    装幀は北園克衛。200部限定出版。
  6. 詩誌VOU 62昭和33(1958)年7月刊 VOUクラブ
    本誌は北園主宰の芸術雑誌。本号には、「エッセイ」「詩」「写真」の各部があり、北園は写真とエッセイ・編集後記を載せている。

尾崎一雄

1899年(明治32)12月25日~1983年(昭和58)3月31日  度会郡宇治山田町(現伊勢市浦田町)出身  小説家

神宮皇学館教授であった父尾崎八束と母タイの長男として生まれる。家は神奈川県下曾我(しもそが)村にあり、祖父の代まで宗我(そが)神社の神官を務めていた。3歳の時下曾我村に帰るが、6歳で宇治山田の明倫小学校に入学、翌年まで在学した。「父祖の地」(1935)には「私が生まれたのは、宇治の五十鈴川のほとりだが、・・・(中略)父と私は、山田の岡本町に移った」とある。 
文学との出会いは、神奈川県立第二中学校の頃、志賀直哉の「大津順吉」に感動したことに始まる。1920年(大正9)、父の死去により21歳で家長となり、進路の自由を得て早稲田高等学院に入学。その後、同大学国文科へと進み、大学の同人誌に「二月の蜜蜂」を発表、文壇でも評価される。在学中に丹羽文雄を知る。
大学卒業後、徒食と濫費から貧窮に陥り、志賀文学の呪縛に苦しむ一方で、新興のプロレタリア文学への反感から、一作も書けない状態が続いた。1931年(昭和6)19歳の山原松枝と結婚、作家として再起する契機となる。自由闊達(かったつ)な境地を描いた「暢気眼鏡(のんきめがね)」(1933)を発表、同作を含む短編集で芥川賞を受ける。1944年(昭和19)、胃潰瘍による大吐血で倒れる。その後、諦念とユーモアから独自の文体を生み出し、「虫のいろいろ」(1948)に結実する。
故郷の宇治山田を舞台にした作品には、前述の「父祖の地」と『あの日この日』(1975)があり、いずれも幼少の頃の、特に父の思い出が綴られている。

展示品解説

  1. 原稿「芳兵衛 ― 或は、習俗に就て ― 」(400字詰 20枚)初出は「行動」昭和9年5月号。『暢気眼鏡』(昭和12・1937 砂子屋書房)に収録。「芳兵衛」のモデルは尾崎の妻松枝。「芳枝」として、多くの作品に「出演」している。
  2. 書簡吉川富三宛昭和44・1969年6月23日付 (便箋6枚・封筒入)囲碁界の「明日をつくる人々」に、加藤正夫5段(当時)を推薦・紹介した手紙。吉川の依頼に対する返信。吉川は写真家で、「日本肖像写真家協会」の設立者。尾崎は囲碁が好きで、作品中にも、碁を打つ場面がしばしば描かれている。
  3. 色紙「李白一斗詩百編」 杜甫作の七言古詩「飲中八仙歌」の一節。「李白は酒を一斗飲むと詩を百編作る」というほどの意味。尾崎も生涯、酒を愛した文人であった。
  4. 著書『暢気眼鏡』昭和12・1937刊 砂子屋書房 初版尾崎の「第1小説集」。表題作の他、天衣無縫な妻を描いた「芳兵衛」、生まれ故郷・宇治山田と父の思い出を描いた「父祖の地」など、「無名の少壮文学者の貧乏生活を取材とした身辺小説」(佐藤春夫)9編を収める。第5回芥川賞受賞作品。
  5. 著書『暢気眼鏡』普及版昭和15・1940刊 砂子屋書房 第3刷巻末広告に「特異なる貧乏小説/ユーモラスな作集」とある。装幀は大貫松三。
  6. 著書『暢気眼鏡』昭和25・1950刊 新潮社(新潮文庫)丹羽文雄は解説の中で尾崎を「すべての点で私の兄」と書いている。同様の言葉は、昭和58年の尾崎の死に際しての小文(「尾崎一雄の友情」。『尾崎一雄 人とその文学』所収)にも見える。

中谷孝雄

1901年(明治34)10月1日~1994年(平成6)12月27日  一志郡七栗村(現久居市森町)出身  小説家

一志郡七栗(ななくり)村(現久居市森町)出身。県立第一中学(現津高校)から三高、東大へ。梶井基次郎らと『青空』を創刊。「春」「くろ土」「春の絵巻」などを発表。その後、『日本浪漫派』創刊に尽力、戦争と切り離せない昭和10年代の文学をリードした一人である。 

1929年(昭和4)、東大ドイツ文学科を中退し、福知山歩兵第20連隊に幹部候補生として入隊。除隊時に少尉。
1935年(昭和10)、保田與重郎、亀井勝一郎などとともに「日本浪曼派」を結成。日本回帰の傾向を示した。
1938年(昭和13)、武漢作戦にペン部隊陸軍班14名の一員として参加。各種の新聞に通信を送る。翌年、従軍記を「滬杭(ここう)日記」として発表。1943年(昭和18)、予備役少尉として応召、ニューギニアに出征した。当時の悲惨な軍隊生活を「徒労」(1962)や「のどかな戦場」(1964)「その前後」(1966)などに描いている。1946年(昭和21)に復員。この時の様子を「梅の花」(1971)に記した。
また、1972年(昭和47)には、雑誌『浪漫』の発刊に参画、同人として活躍した。
「のどかな戦場」は兵站(へいたん)部隊(兵器・食料などの補給・輸送に従事)の小隊長として、60名の兵士とともに西部ニューギニアのマノクワリ基地に駐屯していた時の体験譚である。マラリアの蔓延や栄養失調、敵機の来襲など、常に死と背中合わせの状況に置かれながら、戦争という日常を生きる兵隊の姿が淡々と書かれている。「その前後」にも敗戦直後の現地人と兵隊たちの動向が、客観的に抑制された筆致で描写されている。

展示品解説

  1. 書簡大木惇夫宛昭和40年7月2日
    大木(明治28・1895~昭和52・1977)は詩人・作詞家。大木が同年出した詩集『失意の虹』(南北社)を贈呈された事に対する礼状。
  2. 著書『春の絵巻』昭和12・1937刊 赤塚書房 初版
    中谷の第1作品集。旧制三高(現京都大学)時代の体験を元にした作品で、川端康成の「文芸時評」で好評を得た「春」など、6編を収めている。
  3. 著書『死とその周囲』昭和15・1940刊 河出書房 初版
    父の死を描いた表題作の他、故郷の方言を会話に活かして思春期の姿を描いた「田舎ことば」、高校の同級生梶井基次郎の思い出を描いた「梶井基次郎」など、9編を収めている。
  4. 著書『招魂の賦』昭和44・1969刊 講談社 初版
    淀野隆三・三好達治・亀井勝一郎・外村繁・佐藤春夫・・・中谷が親しく交際し、その死を見送った人々の姿と彼らへの思いを描いた表題作と、「抱影」「蝉の声」の全3編を収める。「招魂の賦」は昭和43年度芸術選奨受賞作品。
  5. 著書『京は人を賤うす』昭和44・1969刊 皆美社 初版
    中谷の歴史小説集。藤原伊周を描いた「敗者の歌」、足利義昭を描いた「妄執」など、5編を収める。
    装幀は棟方志功。中谷は棟方の死後、「棟方志功といふ男」(昭和54年発表。『中谷孝雄全集 第3巻』(新学社)所収)という文章に想い出を書いている。
  6. 著書『故郷』昭和48・1973刊 永田書房 初版
    戦地から復員して故郷や妻子の待つ長野の地での出来事などを回想して描いた「梅の花」、父の33回忌に帰郷した際の出来事を描いた「故郷」、他に「庭」1編を収める。

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2003/11/11

常設展  平成15年11月~平成16年11月

| by システム担当者

展示期間 平成15年11月11日火曜日 から 平成16年11月28日日曜日

三重県立図書館
所在地 514-0061三重県津市一身田上津部田1234番地
電話 059-233-1180
ご意見・ご感想は電子メールで mie-lib@milai.pref.mie.jp まで

三重の国学・和歌

松阪の本居宣長(もとおりのりなが)は、古典研究と国学思想の大成者として、近世を代表する学者の一人である。その私塾鈴屋(すずのや)には全国から多くの俊秀が集い、すぐれた国学者を輩出した。宣長の没後も、その学問は長男春庭(はるにわ)・養嗣子大平(おおひら)へと受け継がれていく中で、急速に庶民層に浸透し、全県域に拡大していった。しかし、三重の国学の発展には、内宮神官荒木田久老(あらきだひさおゆ)及びその一門の活躍が一方にあり、中南勢を中心に多くの門人を擁したことも見逃せない。 
近世後期には久老門で春庭・大平にも学んだ山田の足代弘訓(あじろひろのり)が寛居(ゆたい)塾を主宰、その学頭となった佐々木弘綱(ひろつな)は石薬師に竹柏園(なぎぞの/梛園)という私塾を開き、それぞれに精力的に活動を展開、その影響を県内全域に及ぼしている。また、和歌山の出身で、同じく春庭・大平の門人となった桑名の富樫(鬼島)広蔭(ひろかげ)は言幸舎(ことさちのや)という私塾を開き、東海道を中心に諸国に多くの門人を擁した。 
三重の国学者としては、他に、山崎闇斎(あんさい)の垂加神道(すいかしんとう)の影響を受け、上記国学者たちとは異なる立場で古典・語学研究の成果をあげた谷川士清(ことすが)や、独自の学問を築いた黒沢翁満(くろさわおきなまろ)、橘守部(たちばなのもりべ)など枚挙に暇がない。 
 なお三重の和歌は近世中期以降は国学者を中心として隆盛をみるが、その濫觴(らんしょう)は伊勢神宮内宮神官の伝統的文芸としての神宮法楽和歌など、神宮を中心とする盛んな活動と影響も看過できない。

(『三重県史 資料編』近世5による)

展示品解説

  1. 本居宣長 和歌懐紙見渡せば花よりほかに色もなし日数や春のかぎりなるらむ 宣長 
  2. 足代弘訓 和歌短冊ゆふ暮にふるうすゆきのここちしておぼろ月夜にちる桜かな 弘訓 
  3. 高畠式部 和歌短冊残雪 花梅半
    梅がえのはなの下ひもとくままにほころび多きゆきのしら絹 式部女 
  4. 佐々木弘綱書簡 (書簡末に長歌および反歌を記し石薬師より上京の決意を詠う) 
    羇旅(きりょ)歌 
    反歌 
    しきしまのやまと魂かためむといはねさくみてまどひつるかも 
  5. 本居宣長自筆先触(佐那嘉介名義) 晩年、紀州藩に仕えた宣長が京都から松阪に帰る際に各宿場に出した先触れ。佐那嘉介は実在せず、宣長が家来名で書いたもの。 
  6. 足代弘訓歌集佐々木弘綱編 明治24年刊 博文館

三重の連歌・俳諧

和歌と併称される連歌(れんが)は、伊勢神宮の神官たちにとって、基本的な教養として中世に始まり、近世初頭には盛んに行われた。神官連歌の隆盛のみならず、武家の文芸としての連歌も盛んであり、伊賀上野の藤堂新九郎家の慶長年間のものなどが今に残っている。 
伊勢神宮内宮神官・荒木田守武(あらきだもりたけ)は俳諧に取り組み、天文9年(1540)に『守武千句』が成立、以後、伊勢の神官社会では俳諧が盛んに行われるようになった。近世初期、宇治・山田・松阪では、次々と大きな俳諧撰集が刊行されている。またその後、足代弘氏(あじろひろうじ)の神風館を中心に談林俳諧が流行したが没後には衰退した。 
伊賀に生まれた松尾芭蕉は江戸に出て家を成し、貞享・元禄年間に計3度伊勢を訪れるが、伊勢に芭蕉の俳諧(蕉風)を根付かせることはできなかった。しかし、各務支考(かがみしこう)が芭蕉の意を受けて伊勢に庵を結び、岩田涼莵(りょうと)・中川乙由(おつゆう)らと共に、蕉風を普及させ、伊勢風と呼ばれる俳諧が開花する。なお、涼莵は神風館を再興し、以後代々、一門の指導者によって神風館は引き継がれている。 
上記の他、全国を行脚して各地の俳壇に多大の影響を与えた射和(いざわ)の大淀三千風(おおよどみちかぜ)、桑名では雲裡坊杉夫(うんりぼうさんぷ)が名古屋から移住、この他に美濃派俳諧の伝統が引き継がれる。白子では魯石(ろせき)がその名を広く知られ、津では菊池二日坊(ふつかぼう)とその一門が活躍した。また、松阪の森川滄波(そうは)、蕪村(ぶそん)一派と交流の深かった伊勢の三浦樗良(ちょら)など、三重には豊饒(ほうじょう)な俳諧文芸の展開が見られた。

(『三重県史 資料編』近世5による)

展示品解説

  1. 松尾芭蕉 「蛤の」画付色紙(複製) 伊勢へ旅立つ芭蕉が、大垣で詠んだ句。『おくのほそ道』では、巻尾に置かれている。 
    蛤のふたみに別行秋ぞはせを 
  2. 松尾芭蕉 貝おほひ(複製) 寛文12年(1672)、芭蕉29歳の時の処女作。伊賀上野の俳人の発句に自句を交えて三十番の句合とし、判詞を加えたもの。 
  3. 松尾芭蕉 『猿蓑集』井筒屋庄兵衛版 俳諧七部集の内 「初しぐれ猿も小蓑を欲しげなり」の句碑は大山田村長野峠にある。 
  4. 荒木田守武『俳諧之連歌独吟千句』慶安5年(1652)刊 野田弥兵衛開版 
  5. 梅のしずく中川麦浪(中川乙由の子)輯伊勢山田藤原長兵衛刊 宝暦5年(1755)序 麦林(中川乙由)追善の句集。

佐佐木信綱

(1872~1963)鈴鹿郡石薬師村出身。歌人・国文学者。

1872年(明治5)6月3日~1963年(昭和38)12月2日

鈴鹿郡石薬師村(現鈴鹿市石薬師町)出身 歌人 国文学者 1888年(明治21)帝国大学(現東京大学)古典科卒業後、父弘綱の志を継ぎ、作歌及び後進育成に当るとともに、歌学研究と著作活動を通じて、歌壇・学界に多大な貢献をした。 
歌人としては、1898年(明治31)、門人組織「竹柏会」の機関誌『心の華』(のち『心の花』)を創刊、短歌革新運動に加わり、「ひろく、ふかく、おのがじしに」をモットーとした。1903年(明治36)、歌集『思草(おもいぐさ)』により、新派歌人・信綱の名が広まった。 
願はくはわれ春風に身をなして憂ある人の門をとはゞや 
は歌人としての抱負を詠んだものである。主情的で温雅平明な調べは、三重の風土に培われた信綱の人柄と歌風を象徴していよう。歌集は『新月』『常盤木(ときわぎ)』『豊旗雲(とよはたぐも)』『鶯』など、全部で12冊ある。ほかに、文部省唱歌「夏は来ぬ」の作詞者としても知られる。 
国文学者としては、古典の翻刻・活字本による刊行など、古典普及につとめた功績が大きい。1925年(大正14)には、『校本万葉集』全25巻を完成し、以後の万葉研究に恩恵を施した。『日本歌学史』『和歌史の研究』『近世和歌史』は、和歌・歌学・歌謡研究の成果である。 
一方では、生涯にわたって郷土三重の文化振興のため援助を惜しまなかった。生家は鈴鹿市に寄贈され、隣接の佐佐木信綱記念館とともに公開されている。

展示品解説

  1. うるはしきいもとせのいえ新た代にあらたにつくるそのよき家を色紙 
  2. むかひをればはにわのおものしたしもよそがうつろなるめのしたしもよ色紙 
  3. 『思草(おもいぐさ)』明治36年刊 処女歌集。歌数550首。和歌の伝統を活かしながら、浪漫的理想主義的な温雅平明の歌が多い。
  4. 『新月』大正元年刊 第2歌集。歌数300首。30歳代から40歳代にいたる年代の屈曲した心情を、自由奔放にうたった作が多い。 
  5. 『行旅百首』昭和16年刊 限定版 明治35年より昭和16年にいたる間の旅の詠草100首をみずからえらんだもの。

斎藤緑雨

(1867~1904)河曲郡神戸新町出身。小説家・評論家。

1867年(慶応3)12月30日~1904年(明治37)4月13日 河曲郡神戸新町(現鈴鹿市神戸)出身 小説家 評論家

斎藤緑雨は、本名・賢(まさる)。幼名を俊治といい、慶応3年12月30日、河曲郡神戸新町75番屋敷(現鈴鹿市神戸2丁目)に、伊勢神戸本多侯の典医であった父・利光と、母・のぶの長男として生まれた。 
明治9年、9歳で上京後、其角堂永機について俳句の手引きを受け、幼友上田万年(国語学者)と回覧雑誌を発行するなど、文学に傾倒する。 
明治17年、17歳の時、仮名垣魯文の弟子となり、ついで『今日新聞』に入社。この頃から文学活動は本格化する。戯作風の続き物やパロディ批評で文壇に登場。やがて花柳小説「油地獄」「かくれんぼ」で作家的地位を確立した。「門三味線」では樋口一葉の「たけくらべ」と競った。 
明治30年以降は、「おぼえ帳」以下のアフォリズム(警句)やエッセイが主になっていく。性狷介、新聞社を転々とし、貧窮のうちに肺患のため、明治37年4月13日「僕本月本日を以て目出度死去仕候間此段広告仕候也」という自分の新聞死亡広告を馬場孤蝶に口述させて、本所横網町に没した。37歳であった。 
なお、名批評<三人冗語>の中で、緑雨は樋口一葉の「たけくらべ」を激賞、以降、一葉の死まで二人の交流は続いた。緑雨の弟子としては、小杉天外が唯一といわれている。

展示品解説

  1. 『あま蛙』初版 明治30年 博文館刊 
  2. 『あられ酒』5版 明治38年 (初版 明治31年) 博文館刊 
  3. 『わすれ貝』初版 明治33年 博文館刊 
  4. 『みだれ箱』4版 明治38年 (初版 明治36年) 博文館刊 
  5. 幸徳秋水宛書簡明治35年1月31日 
  6. 『校訂 一葉全集』20版 明治40年 (初版 明治30年) 博文館刊 一葉没後、緑雨によって校訂刊行された最初の一葉全集。序文は緑雨。「にごり江」から「たけくらべ」にいたる24編を収める。 
  7. 『緑雨集』明治43年 春陽堂刊

三重の漢詩文

三重における漢詩文の隆盛は、近世中期にはじまる。享保年間に荻生徂徠(おぎゅうそらい)が提唱した古文辞学派は、当時の詩風、詩文観を一変させ、経学から詩文独立の風を生んだ。三重県域でも、古文辞学派の影響は大きく、神戸藩主の本多忠統(ただむね)(猗蘭/いらん)が、徂徠に学んで自作の漢文集『猗蘭台集』を編んだことは、その代表例である。また、京阪の漢詩壇との交流も深く、京の詩僧雪巌、大阪混沌社の細合半斎らとの交流などにより、この地の漢詩壇の水準は高かったと言えよう。 
十八世紀後半、三重の漢詩壇に重要な位置を占めたのは、古義堂・伊藤東涯(とうがい)の門人で、津藩に仕えて門人八百人と言われた奥田三角(さんかく)であった。三角は古義学を広めると共に、津藩を中心とした三角詩社とも言うべき一大詩壇を形成している。また北勢には、龍草盧(りゅうそうろ)に学び、菰野藩学の基礎を確立した南川金渓(きんけい)があった。 
近世後期は、全国的に漢詩文の豊饒(ほうじょう)な時代であった。山田の山口凹港(おうこう)は菅茶山(かんちゃざん)に学び、恒心社を主宰した。その社友には、茶山の塾頭となった北條霞亭(かてい)の他、東夢亭、河崎敬軒、鷹羽雲淙(うんそう)らがいた。 
文化・文政以後は詩人の数も多いが、その中にも、『夜航詩話』の著者津坂東陽、『月瀬記勝』の著者斎藤拙堂などは全国的に著名である。 
なお、おかげ参りの流行により、これに取材した狂詩集の出版も多く行われた。これも、三重の地域的特色といえる。

(『三重県史 資料編』近世5による)

展示品解説

  1. 津坂東陽草稿遊笠置山記
    享和元年、笠置山に遊んだ折の記。巻末に「此の記後来探勝の客の為、辞の絮煩を厭はず、委曲具かに録して繊悉遺すこと罔し。山の勝概茲に尽く」と記す。
  2. 『月瀬記勝』 斎藤拙堂著嘉永4年序 5年刊 
  3. 勢海珠き 一集 家里松濤編
    嘉永6年自跋。在世の伊勢の漢詩人57家の詩を収録したもの。

橋本鶏二

(1907~1990)阿山郡小田村出身。俳人。

1907年(明治40)11月25日~1990年(平成2)10月2日 阿山郡小田村(現伊賀市小田町)出身 俳人>

俳人・橋本鶏二は、明治40年11月25日、阿山郡小田村(現伊賀市小田町)に生まれた。16歳(大正13)の頃から俳句に親しみ、『ホトトギス』に投句をはじめ、高浜虚子(きょし)に師事、また、22歳(昭和5)の頃より長谷川素逝(そせい)とも親交を深めるようになった。 
昭和18年、『ホトトギス』6月号で初めて巻頭を飾り、さらに昭和20年に同誌3月号の巻頭句「鳥のうちの鷹に生まれし汝かな」は高い評価を受け、その多くの鷹の秀句によって、「鷹の鶏二」として知られるようになる。 
昭和30年から名古屋に移り住み、55年に上野市に帰住。平成2年、82歳で没するまで、その生涯において、俳句雑誌『桐の葉』『桐の花』『鷹』『雪』『年輪』を主宰して多くの門人を育てると共に、「中日俳壇」(中日新聞)「南日新聞」(南日本新聞)の選者をつとめる。また、昭和23年刊の第1句集『年輪』以降、没後刊の『欅』に至るまで11の句集、『素逝研究』などの評論・随筆など、数多くの著作を刊行した。 
鶏二は、清雅温厚な中に、対象を透徹した眼でとらえ表現した「詠み込んだ写生」の句によって伝統俳句に新境地をひらいた。その作句の姿勢は、「雪月花彫りてぞ詠(うた)ふ」という自身の俳句創作理念に示される。 
昭和60年、その功績により、三重県民功労者表彰を受ける。

展示品解説

  1. 双六の花鳥こぼるる畳かな昭和18年作 『年輪』所収 季語「双六」 新年 
  2. かんばせにあてて吹くなり獅子の笛昭和18年作 『年輪』所収 季語「獅子」 新年 
  3. 原稿 「長谷川素逝」(400字詰・14枚) 『年輪』第六巻第九号(昭和37年9月)に「続・素逝研究」(第46回)-素逝のことども-」として掲載。 
  4. 第一句集『年輪』明治23年刊(竹書房) 序 高浜虚子表紙版画 渡邉萬吉 
  5. 第二句集『松囃子』昭和25年刊(書林新甲鳥) 題簽 森田沙伊 
  6. 『俳句 実作者の言葉』昭和35年刊(近藤書店)

嶋田青峰

(1882~1944)答志郡的矢村出身。俳人。

1882年(明治15)3月8日~1944年(昭和19)5月31日 答志郡的矢村(現志摩市磯部町的矢)出身 俳人

本名、嶋田賢平。内湾に面した静かな的矢に生まれ育ち、的矢小学校から宇治山田にあった度会郡高等小学校を経て、鳥羽商船予科に入学したが、一年生の途中で東京に移る。東京専門学校(現早稲田大学)を卒業、中学の英語教員や早大講師をつとめ、1908年(明治41)、国民新聞社に入社。俳人・高浜虚子のもとで文芸欄を担当。虚子退社のあと、学芸部長となった。 
俳誌『ホトトギス』の編集を助けていたが、1922年(大正11)篠原温亭とともに『土上(どじょう)』を創刊。温亭が没した1926年以降は主宰者となった。『ホトトギス』系の立場だが、昭和初期、新興俳句運動が盛んになるにつれ、穏やかな作風ながら、この運動の一翼をになうようにもなる。 
太平洋戦争の足音が近づく1941年(昭和16)2月、俳句弾圧事件に巻きこまれ、治安維持法違反の名で検挙される。喀血がもとで釈放されたが、病床生活が続き、敗戦の報を知ることもないまま、病没した。 
句文集『青峰集』(1925)、『静夜俳話』(同)、『子規、紅葉、緑雨』(1935)、自句自釈『海光』(同)などがある。弟的浦、長男洋一も俳人。 
故郷の的矢を詠んだ句も少なくない。地元の丘には句碑も立っている。 
入船を見て立ちつくすふところ手 
牡蠣筏(かきいかだ)こゝの入江の潮満つ 
真ン中に浮く島の灯や冬港

展示品解説

  1. 秋風に貧しき心顧みぬ 青峰色紙 
  2. 鉦叩一つのやうに思はるる 青峰短冊 
  3. 嶋田青峰訳 トルストイ『セヴァストオポリ』大正7年刊 
  4. 『静夜俳話』大正14年(1925)刊 
  5. 『俳句読本』昭和5年(1930)刊 
  6. 『青峰集』大正14年(1925)刊

岡野弘彦

(1924~)一志郡美杉村出身。歌人。

1924年7月7日 一志郡美杉村川上に生まれる 歌人 国文学者

家は代々の神主の家で、父弘賢の長男。川上尋常小学校、神宮皇学館を経て、1943年(昭和18)国学院大学入学。大学において生涯の師、折口信夫(釈迢空)に出会い、彼の指導する短歌結社「鳥船社」に入り、1947年(昭和22年)から1953年(昭和28年)の折口没年まで折口の家にあって生活を共にし、短歌及び国文学の薫陶を受ける。 
1951年(昭和26年)国学院大学に奉職、学者としての生活に入り、以後、学生部長・文学部長を歴任し、現在国学院大学名誉教授。 
迢空没後、歌人としての本格活動に入り、歌誌『地中海』同人をへて『人』を創刊主宰。古典文学と民俗学との深い造詣に裏打ちされたその表現は高く評価され、刊行した6つの歌集の内 
『冬の家族』により 現代歌人協会賞 
『滄浪歌(そうろうか)』により 釈迢空賞 
『海のまほろば』により 芸術選奨文部大臣賞 
『天(あめ)の鶴群(たづむら)』により 読売文学賞 
をそれぞれ受賞した。 
また、たびたびNHKTVの「短歌入門」講師を務めるなどして、短歌の一般普及にも努力した。 
現在、大学院の講義のかたわら、宮中新年歌会始めの選者と、宮内庁御用掛として皇族方の短歌指導もしている。

展示品解説

  1. 自筆原稿 「古代の霊歌・現代の悲歌」 雑誌「短歌」(角川書店)36巻9号(1989年8月号)p.88~91(悲劇の歌人たち<特集>)に掲載された原稿。正式な表題は「古代の悲劇歌-古代の霊歌・現代の悲歌」 
  2. 歌集 天(あめ)の鶴群(たづむら) 第4歌集。読売文学賞受賞。旅の歌が多い。表題は『万葉集』遣唐使の母の詠「旅びとのやどりせむ野に霜ふらばわか子はぐくめ天の鶴群」によっている。 
  3. 『歌人・岡野弘彦先生の 白崎の歌碑』井原勲著(1994年刊)「注記」に「平成5年6月22日除幕」とある。 
  4. 移り行くうなばらの月たましひのいきづくごとくてりかげるなり色紙

横光利一

(1898~1947)阿山郡東柘植村および上野町に少年時代在住。小説家。

1898年(明治31)3月17日~1947年(昭和22)12月30日 阿山郡東柘植村(現伊賀市柘植)および上野町(現伊賀市)に少年時代在住 小説家

父横光梅次郎が関西線の加太トンネル工事で柘植村に滞在し、母こぎくと結婚。利一は父の仕事先である福島県の会津で生まれたが、父の仕事で一家は各地を転々とした。父の単身赴任のため、母・姉とともに母の郷里柘植村で小学校時代の大半を送る。大津の高等小学校から三重県第三中学校(現上野高校)に入学。野球・サッカー・水泳などの運動で活躍する一方、卒業時の校友会雑誌には異色の文体の「修学旅行記」や難解な散文詩「夜の翅」を発表している。 
早稲田大学に進み、新聞・雑誌に作品を投稿、やがて菊池寛に師事して川端康成を知る。1923年(大正12)、「蝿」「日輪」を発表。翌年、川端、今東光、片岡鉄兵らと、「文芸時代」を創刊し、「頭ならびに腹」を掲載。新感覚派と呼ばれたこの派の中心作家として小説・評論に活躍した。 
中国民衆の五・三〇事件を題材にした「上海」、ヨーロッパノ新心理主義に関心を向けた「機械」「紋章」などが知られる。「純粋小説論」では純文学と通俗文学との融合や、“第四人称”を提唱した。やがて大作「旅愁」では、日本精神と西洋文明との対決を描いたが、未完に終わった。 
小中学校時代の大半を過ごした伊賀の地は、横光の事実上の故郷といえよう。中学時代の初恋の体験を短篇「雪解」に描き、戦後の再出発を図りながら病に倒れた。伊賀での幼年時代の思い出を綴った「洋燈」が絶筆となった。

展示品解説

  1. 『日輪』雨過山房松版 昭和10年刊 
  2. 『上海』書物展望社版 昭和10年刊 
  3. 『旅愁』第一編 改造社 昭和15年刊 
  4. 『雪解』養徳社 昭和20年刊 
  5. 中河与一宛書簡(大正13年8月1日消印) 中河与一(1897-1994)は、香川県生まれの作家。横光・川端らと大正13年『文芸時代』を創刊、新感覚派運動を興す。この葉書は当時京都から出したもの。 
  6. 秋の日の反射爐に満つ嫁ぐ人 横光色紙

江戸川乱歩

(1894~1965)名張郡名張町出身。小説家。

1894年(明治27)10月21日~1965年(昭和40)7月28日 名張郡名張町(現名張市)出身 小説家

本名、平井太郎。筆名はアメリカの小説家エドガー・アラン・ポーのもじり。本籍は津市。父・繁男、母・菊。父が名賀郡の郡書記として名張市新町(現在桝田病院中庭)に住んでいた時に生まれた。父の転勤に伴い、2歳の頃は亀山に住み、翌年名古屋市に移る。1912年(明治45)、愛知県第五中学校を卒業後、父の破産で朝鮮に渡るが、向学の志を持って上京、早稲田大学に入学。1916年(大正5)、政治経済学部を卒業後、種々の職業を経験して、1919年(大正8)11月には三重県鳥羽造船所電気部社員になった。 
1923年(大正12)には処女作「二銭銅貨」を『新青年』に発表。ついで同誌に「心理試験」「屋根裏の散歩者」などを載せ、奇抜な着想と怪奇な内容によって探偵小説界の第一人者として活躍した。 
「陰獣」「蜘蛛男」により通俗小説の傾向が強くなり、「黒蜥蜴」や「怪人二十面相」などの少年小説を書くようになった。戦後は海外推理小説の紹介をする一方、1947年(昭和22)には探偵作家クラブ(後、社団法人推理作家協会)を設立、その初代会長に就任、日本の推理小説の発展に寄与した。 
「わが夢と真実」は、彼の回想録ともいえる作品で、生い立ちや青少年時代のことなどが綴られている。生誕地には「幻影城-江戸川乱歩生誕地」の碑が立ち、名張市立図書館には「江戸川乱歩コーナー」が設置されて、多くの資料が集められている。

展示品解説

  1. 『乱歩文献データブック』平井隆太郎・中島河太郎監修 名張市立図書館が出版した江戸川乱歩レファレンスブック1
  2. 『犯罪幻想』 短篇一つに一枚ずつ棟方志功の版画が入った贅沢本。11の短篇が入っている。「心理試験」は暗号を使って有名な大正14年2月の作品。 
  3. 東野辺薫宛書簡 1945年、福島疎開前後の書簡。東野辺は福島県在住の芥川賞作家。乱歩とは早稲田の同窓である。 
  4. うつし世はゆめ よるの夢こそまこと 乱歩色紙

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