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2015/10/21

第42回 三重県の孝子伝

| by システム担当者

江戸以前の三重県の先人・偉人の事蹟をまとめたものに、『先賢遺芳』という本があります。その中に、「孝子」として、「孝女登勢(現・津市)」「孝子留松(現伊賀市)」「孝子萬吉(現亀山市)」「孝子勘七(現紀北町)」 の4人が載せられています。 これら4人のうち、最初の3人については、江戸時代にその「孝行」の様子を描いた「伝記」が出版されており、それらの「伝記」を中心に、「三重県の孝子」に関する当館所蔵参考文献を紹介しました。


  • 展示期間平成16年9月11日(土)から平成16年12月24日(金)
  • 解説
  • 参考資料
参考資料一覧(2004年9月現在)
書名編著者出版者出版年
孝子伝の研究黒田彰/著仏教大学通信教育部2001
江戸時代の孝行者菅野則子/著吉川弘文館1999
官刻孝義録上巻菅野則子/校訂東京堂出版1999
官刻孝義録下巻菅野則子/校訂東京堂出版1999
先賢遺芳 三重県1915
安濃町史資料編安濃町史編纂委員会/編集安濃町1994
松阪市史第8巻松阪市史編さん委員会/編著蒼人社1979
三重婦女読本三重県教育会/編三重県教育会1939
安濃ふるさと101話安濃町史編纂委員会/編 1997
三重の女の一生中日新聞三重総局/編集光書房1981
県史あれこれ2三重県生活文化部学事課/編集三重県生活文化部学事課1996
伊賀善行録沖森直三郎/編沖森書店1987
日本教育文庫孝義篇上同文舘編輯局/編纂同文舘1910
日本教科書大系近代編第1巻修身1 講談社1978
台水先生遺文坤町井台水/著、町井鉄之介/編 1917
孝子留松の伝〔沢一以/著〕大阪伊賀人会1934
新編伊賀地誌中野銀郎/著伊賀地誌編纂会1939
伊賀史談会会誌第10号 伊賀史談会1934
鈴鹿郡郷土誌鈴鹿郡教育会/編東天社1981
三重県史談村上政太郎/著豊住謹次郎1894
三重県誌教案 関西図書1900
鈴鹿郡野史(復刻版)柴田厚二郎/編名著出版1973
亀山地方郷土史第3巻山田木水/著三重県郷土資料刊行会1974
鈴鹿関町史上巻関町教育委員会/編集関町役場1977
鈴鹿小史早川赳夫/著三重県教師会1968
広報せき縮刷版第1巻  1990
広報せき縮刷版第2巻  1990
海山町史海山町役場/編集海山町役場1984
稲生郷土誌三重県鈴鹿市稲生郷土誌編修委員会/編修三重県良書出版会1989
碑碑が語る津の歴史三ツ村健吉/著三ッ村健吉1997
津藩深谷克己/著吉川弘文館2002
津市史第一巻梅原三千,西田重嗣/執筆津市役所1959
わが文わが歌佐佐木信綱/著六興出版部1947
郷土誌(郷土教育資料)相賀尋常高等小学校/〔編〕相賀尋常高等小学校
郷土調査(郷土教育資料)相賀尋常高等小学校/〔編〕相賀尋常高等小学校1925
天祚録土井幹夫/著土井幹夫1893
三重県二千六百年史(復刻版)古田三好/著古田悠1991
日本書誌学体系23-7三村竹清集7三村清三郎/著青裳堂書店1985
桜斎随筆第16巻鹿島則孝/編著本の友社2001


解説

「親孝行」は、洋の東西や時代を越えて、普遍的な徳目の一つです。「孝行説話」「孝子譚」は、『今昔物語』や『お伽草子』など、多くの古典に見られます。亨和元年(1801)、幕府が編纂・出版した『官刻孝義録』には、全国で表彰された孝子・孝女が、その住所・氏名・年齢、褒美を受けた年月などとともに記載されています。主なものについては、それぞれの「孝行」の内容を、物語風にまとめています。
江戸以前の三重県の先人・偉人の事蹟をまとめたものに、『先賢遺芳』という本があります。その中に、「孝子」として、次の4人が載せられています。 

「孝女登勢(現安濃町)」「孝子留松(現伊賀市)」「孝子萬吉(現亀山市町)」「孝子勘七(現海山町)」

これら4人のうち、最初の3人については、江戸時代にその「孝行」の様子を描いた「伝記」が出版されており、当館でも当時の本を所蔵しています。今回の地域ミニ展示は、それらの「伝記」を中心に、「三重県の孝子」に関する当館所蔵参考文献をご紹介します。

1孝女登勢と『孝女登勢伝』

孝女登勢と『孝女登勢伝』登勢は、江戸時代の末頃に、阿下喜村(現いなべ市)に生まれ、6歳の時、連部村(現安濃町)の貧しい農家に養女としてもらわれました。難病の養父母を助けて少女の時から生計を支え、孝養を尽した登勢は、文化5年(1808)、藩主から褒美をもらいます。 
『孝女登勢伝』は、文化6年(1809)、津の書店から出版されました。そこには、筆舌に尽くし難い苦労と献身的な愛情に満ちた登勢の半生が記されています。『安濃町史資料編』には『孝女登勢伝』が、関係する古文書とともに翻刻されており、活字で読む事ができます。挿絵には、貧しい暮らしの中で心のこもった親孝行をする登勢の姿が、わかりやすく描かれています。 
孝女登勢については、現代では「女性史」の観点からも取り上げられることがしばしばあります。インターネットでも、安濃町が紹介している他、奈良女子大学附属図書館のサイトでは、『孝女登勢伝』の本文画像に、翻字・解説を付けて紹介しています。

『孝女登勢伝』同書より:登勢が両親を助けて暮らす様子同書より:登勢が両親を助けて旅をする様子

2孝子留松と『至孝 自然生(ひとりはえ)』

孝子留松と『至孝 自然生(ひとりはえ)』留松は、江戸時代の末頃、東條村(現伊賀市)の貧しい家に生まれました。早くに父を失った留松は、幼い頃から病気の祖父と難病の母に孝養を尽しました。母の死後も、祖父の面倒を見ながら、その墓を毎日大切に守ったので、天明3年(1783)、藩主よりその孝心を認められ、褒美をもらいます。 
同年出版された『至孝 自然生』には、留松がお城で褒美をもらう経緯や、留松の周囲の村人たちの様子などが詳しく描かれています。これは、著者の稲垣景直が、留松の褒賞に直接関与した人(「大村長(しやうや)」)であったことにもよります。当時の村の暮らし振りや人々の考え方などを知る上でも、たいへん参考になる資料です。 
『至孝自然生』以外にも、留松の伝記は3冊あり、それぞれ天明4年(1784)、大正6年(1917)、昭和9年(1934)に出版されています。「孝子伝」として4度も書かれたのは、この留松だけです。内容はどれもほぼ同じですが、この事実は、それだけ留松と彼をめぐるエピソードが、魅力的で興味深いものであったことを示していると言えます。 
ちなみに、題名『至孝 自然生』は、作者が留松のことを評した文章、「是天性自然と云つべし」から来ています。9歳ながら、自分のことを顧みずに、ひたすら祖父と母に尽した留松を前にした「大村長(しょうや・庄屋)」である作者は、彼の孝子ぶりを説明する他の言葉を思いつかなかったのでしょう。「留松の孝行は、天から授かった、全く生まれながらのものである、という他はない。」その思いをそのまま題名にしたところに、作者の感動の深さをうかがい知ることができます。

『至孝 自然生』『台水先生遺文乾』
(「孝子留松伝」所収)
『孝子留松の伝』同書より:雨の夜中に母の墓を守る留松の様子
(原画は『伊州東條 孝子留松伝』より)

3孝子万吉と『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』

万吉は、江戸時代の中頃、東海道坂下宿(現亀山市)に生まれました。幼い時に父を失い、母は病身だったので、万吉は、鈴鹿峠で旅人の荷物を運び、わずかな賃銭を得て生計を支えました。ある時、旅の侍に認められ、その親孝行を広く知られるようになり、11歳の時、役人から褒美をもらいます。その顛末を記した『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』は、寛政元年(1789)、京都の書店から出版されました。 
ところで、最初に万吉を目に留め、家を訪れて母を励まし、お金を与えた侍は、『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』では「石川某」とあるのみですが、『関町史』など、後になって書かれた郷土史や、学校教科書などの多くは、「石川忠房」と、その人物を特定しています。 
「石川忠房」は、寛政5年(1793)に、幕府の代表としてロシアの使節ラクスマンから白子(現鈴鹿市)の漂流民大黒屋光太夫を松前(北海道)で引き取った人物です。後に彼は勘定奉行にまで出世しますが、万吉と「石川某」が初めて出会った天明3年(1783)当時は「大番」という役職にありました。「大番」は、江戸城のほか、大坂城・二条城に勤務する役職で、確かに『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』の記述と符合します。 
明治7年(1874)に出版され、当時、学校教科書としても使用された『近世孝子伝』には、先に紹介した「留松」と共に、「万吉」を載せています。その内容は『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』そのままですが、文体を和文でなく漢文訓読体に書き直しています。その中で、例の侍は「幕府の臣石川忠房」と特定されています。管見ですが、この『近世孝子伝』は、侍の姓名を特定している最も古い資料です。 
『近世孝子伝』の著者が、なぜこのように特定できたのかはわかりません。しかし、もし事実だとしますと、「石川忠房」という人物は、ずいぶん三重県に縁の深い人物であったといえます。

『日本教育文庫孝義編上』
『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』『伊州東條 孝子留松伝』翻刻所収
『日本教科書体系近代編第一巻修身(一)
『近世孝子伝』(「万吉」「留松」の項あり)所収

4戦前の教科書にとりあげられた「孝子」たち

戦前、つまり昭和20年以前には、学校では「修身」という授業がありました。いまでいう「道徳」の時間です。その教科書には、歴史に題材をとった話が教材として多く使われていました。江戸時代の「孝子」たちも、教科書にしばしば登場しています。 
三重県の「孝子」たちで、最も多く教材とされたのは「万吉」です。先に紹介した『近世孝子伝』などは、教科書検定がはじまる以前の教科書ですが、後の「検定教科書」にも使用されています。作文の教科書の例文の他、当時、日本の統治下にあった朝鮮で使われた教科書にも採用されています。 
「留松」も教科書に使用されていますが、「登勢」を載せているものは見つかりませんでした。「孝」は、小学校低学年で教えられていたので、その教材には、単純でわかりやすく、子供が活躍する「万吉伝」のような話が向いていたのかもしれません。以下、一覧にしてみました。当館所蔵資料は少ないですが、多くはインターネット上でご覧いただけます。

 書名編著者出版年孝子現市町村収録図書・サイト
1近世孝子伝城井寿章明治7年万吉亀山市『日本教科書体系修身一』
留松伊賀市
2明治孝節録 巻三近藤芳樹明治10年甚左衛門伊賀市広島大学図書館HP
    横田新助津市 
3修身説約 巻の二木戸麟明治12年万吉 広島大学図書館HP
4修身説約 巻の三木戸麟明治12年留松 広島大学図書館HP
5小学脩身読本三好学明治13年万吉 広島大学図書館HP
6和漢孝義録 巻一鈴木重義明治15年甚吉鈴鹿市広島大学図書館HP
7和漢孝義録 巻二鈴木重義明治15年リヨ四日市市広島大学図書館HP
8智徳のかゞみ斎藤普春明治24年万吉 国立国会図書館デジタルコレクション
9実験日本修身書 巻三渡辺政吉明治26年万吉 広島大学図書館HP
10高等小学修身 巻二高野安繹明治26年弥三郎松阪市広島大学図書館HP
11尋常小学修身書 巻三 明治33年万吉 広島大学図書館HP
12高等小学作文全書 二石川正作明治35年万吉 国立国会図書館デジタルコレクション
13普通学校国語読本巻五朝鮮総督府大正3年万吉 『普通学校国語読本』

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