更新

第3回企画展「三重の同人誌展 第1回 詩・小説・評論」

三重の同人誌(詩)

-戦後の流れ-

明治新体詩人の鬼才と言われた伊良子清白(1879年から1946年)は鳥羽市の小浜に23年間住んでいた。アヴァンギャルドの旗手と言われた北園克衛(1902年から1981年)は17年間伊勢市の朝熊で育った。

しかし、偉大な二人の詩人の影響は、三重県の詩界に全くないままに、1947年、二つの詩誌が誕生した。

津市で館寒也(丹羽征夫)が「詩祭」を二年間出し、松阪市で親井修が「詩表現」を発刊、これは1985年まで続いた。次いで1950年に松阪市の中野嘉一と錦米次郎らが「三重詩人」を創刊したが、いわゆるモダニズム的芸術派と、リアリズム的社会派共存からの齟齬もあって長くは続かなかった。

1951年に中野嘉一は「歴象」を興し、錦米次郎は第二次「三重詩人」を興した。「歴象」は1963年中野嘉一の東京転住と共に三重県を離れた。

1年ほど第二次「三重詩人」にいた前川知賢は1962年「原始林」を創刊、1993年まで続く。

「原始林」にいた北村守は1965年に「まんじゅしゃげ電車」を発刊した。「歴象」に依っていた渡辺正也は1969年に「石の詩」を創刊し、第一次「三重詩人」にいた浅野タダヨと、「原始林」1号にもいた津坂治男は1980年に「みえ現代詩」を創刊した。「詩表現」と「歴象」にいた村田治男と「詩表現」にいた山下久樹らが興した「鳶」の創刊は1990年である。

三重の同人誌(小説・評論)

-現状の構造-

三重県下の同人誌(小説・評論)等の現状況を一言で言うとすれば、活気に満ちた状況にある、と言えるだろう。発行されている同人誌が7、個人誌も又、12を数えるという状況は注目されるべきことに違いない。そして、それらの数字を貫く中心柱のようにして「海」が50号となり、「火涼」が33号を数えるに至り、「文宴」も又、81号を出し、ますます充実しているのである。他方、個人誌が十指に余るということはそれだけ個性の主張を強く持っている作家等が多いことの証明に他ならないのだろう。つまり、同人誌の持つ僅かな制約をさえ避けたいとする激情に似た思いの持ち主の多さの表われ、ということになるのではないか。これらに加えて準公的な雑誌も忘れてはならないだろう。この中では特に「教育文芸みえ」は全県的な新人発掘に重要な役割りを果たしている、と言える。

このようにさまざまな惑星が活発に文学の太陽の周りを巡っているのである。しかしながら、もとより、これらの雑誌のそれぞれの内部世界は固定的なものではなく、まだまだ、混沌たる部分を併せ持った状況にある、と言えるのである。事実、それぞれの雑誌には次々と新しいメンバーが加わっている。だが、どうもそのメンバーに20才台の若い層が少ないらしい。それが気に掛る。

展示期間:平成7年3月1日(水曜日)から3月15日(水曜日)