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第7回企画展「戦争と文学 第2回(詩歌編)」

佐佐木信綱

鈴鹿郡石薬師村出身。歌人。太平洋戦争開戦の翌年、日本文学報国会結成に際し短歌部会長となり、「愛国百人一首」や「大東亜戦争歌集」の刊行に尽力。戦争中の作を収めた歌集に「瀬の音」、「山と木と」がある。

北園克衛

度会郡四郷村出身。詩人。昭和初期、西脇順三郎らとシュールレアリズム運動を展開。詩を中心としてデザイン、写真などの分野でも尖鋭な才能を発揮。しかし戦時中は詩集「風土」等を著し、日本的なものへと避難した。

山口誓子

京都市に生まれる。俳人。結核療養のため1941年9月、四日市富田へ。以後も天ヶ須賀海岸、鼓ヶ浦海岸と転居を重ねる。1953年10月まで三重県に生活し句作に励んだ。敗戦の日の句に「いくたびか哭きて炎天さめゆけり」。

嶋田青峰

志摩郡的矢村出身。俳人。早大卒業後、国民新聞社で、高浜虚子のもと、文芸欄を担当。温和な俳風が特徴だったが、俳句弾圧事件に巻き込まれ1941年2月検挙される。半月後、留置所内で喀血。敗戦を見ずに世を去った。

長谷川素逝

大阪に生まれる。俳人。9歳の時、津へ。京大卒業後、母校津中で教鞭をとりながら、俳誌「阿漕」を主宰。1937年砲兵少尉として中国に出征。中国各地を転戦。そのさなか南京攻略を目のあたりにする。句集に「砲車」。

竹内浩三

1921年、宇治山田市に生まれる。詩人。日大専門部映画科に進み、伊丹万作に私淑。太平洋戦争のため繰リ上げ卒業となり出征。1945年4月、フィリピン・ルソン島にて戦死。その詩「骨のうたふ」は浩三の絶唱として有名。

展示期間 平成8年8月4日(日曜日)から8月18日(日曜日)