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第10回企画展 「しなやかな作家たち 今井貞吉・瀬田栄之助・浅井栄泉」

小説を書いているのは著名なプロ作家ばかりではありません。「無名」でありながら、あるいは、そのようであるが故に、いわゆる商業主義から独立し得ての良い作品を書いている人々が県内にも多数いましたし、今もいます。その人たちの活動に目を注いでいただくきっかけにでもなればと思い、この展示を企画しました。ここに展示した三人は、それぞれに色々な同人雑誌に小説を発表してきた作家でした。「ひた走るわが道くらし」と一人が色紙に書き残しておりますが、このような思いは三人に共通してあったと思われます。彼らの仕事を県内同人作家の歴史のなかで眺めてみれば、それぞれに山塊を成し、重なり合い、また離れたりしながら、一つの中心的な山脈を形造っているかの如く見えます。更に言えば、彼らは著名作家たちとも深い交流をもち、時には、やむをえず流浪の旅に出た作家を匿ったり、あるいは、東海地方にペンクラブを創設したりの活動もあり、それらの活動にも見るべきものがありました。

今井貞吉

1904年から1985年。津市出身。小学校を卒業後、京都の伯父にひきとられ、同志社中学に入ったが、中退し帰津。気ままに上京と帰郷をくり返す20代・30代であった。小説「ひな歌」が戦前の代表作。戦後も津を足場に作家活動を続け、県内文壇の長老的地位を占めた。

京都から津に戻ったころ、ロシア文学を耽読し文学に近づいたが、16歳の秋に兄・今井俊三と上京。共にまず絵を学んだ。詩人・辻潤と親交を結び、のち中原中也を知る。作品以前にかなりの交友があった辺りは、今井貞吉のきわ立った特徴である。

1934年(昭和9年)、三重文芸協会が設立され、「三重文芸協会々報」や「三重文芸」の誌上で活躍。1938年、同人誌『茉莉花』に参加し津を舞台にした「ひな歌」を13回にわたり掲載、ほかに詩も発表した。青春の抒情と倦怠・虚無の合体した作風は、戦争に盲進して行く時代状況の中で特筆すべきものといえよう。

戦災ですべてを失った。定職を持たず、独身生活を続け、県警の機関誌『あさあけ』の編集や、絵をかくことで戦後的清貧の暮らしを貫いた。戦後派的文学に関心を示さなかった点も特徴的である
「暗い空の下で」など執筆しても、長らく未発表のままだった。念願の長編は実現していない。

瀬田栄之助

1916年から1971年。四日市市出身。大阪外国語学校スペイン語部卒業。天理大学スペイン語学科講師でありながら作家活動を行なう。深沢七郎とも親交があり、新聞・雑誌などに多くの評論記事を発表している。

1971年スペイン政府より「イザベル勲章」を受ける。

「小説を書き始めるのは早く、十代に『文芸首都』に活発に投稿していた。本格的に作家活動を行うのは戦後になってからである。その活動の時期を三期に分類することができる。

第一期(習作時代 1940年代)

習作とはいいながら、「祈りの季節」(近畿文学賞)、「醜聞」(四国文学賞)を受賞するという質の高い作品を生んだ時期である。史実を基にした歴史小説が多い。

第二期(『近代文学』同人時代 1960年頃)

埴谷雄高の知遇を得、"小説とはなにか"について開眼させられた時期。代表作「犠牲者たち」は戦中の外国兵俘虜収容所の通訳の体験がもとになった作品。

第三期(癌との闘いの時代 1970年頃)

癌と宣言され手術を受けるが、死への恐怖は拭い難く、家族とも離ればなれになり孤独に耐えながら、生への執着を執拗に描いた時期。「死の環」などがある。作品の多くは同人誌である。そのため『いのちある日に』は瀬田の唯一の単行本である。

浅井栄泉

1932年から1994年。度会郡南島町阿曽浦で生まれ、四歳の頃、伊勢市に転居。早稲田大学露文科卒業。小説を書きながら、1969年から1974年まで朝日新聞「中部の文芸」欄で東海地方の同人誌の批評を展開。1986年に「中部ペンクラブ」を創設し、同会の会長につく。

大学卒業後、東京で就職したが、仕事と小説を書きたいとの欲求とに切り裂かれたようになってノイローゼ状態に陥り、2年足らずでその職をやめ、伊勢市に帰って市役所に勤めたりしたが、長続きしなかった。妻が働きに出、自分は家事に従いながら小説を書き続けていたところから「主夫作家」といわれたりした。主著に『パパは王様』がある。

浅井の小説への執着は、『パパは王様』に収められている諸作から最後の小説「桜桃の夜」に至る作品群にも明らかにされているように痛切なものがあった。それは、小説を書かなくなって後の批評活動などにも強く反映されている。後の作品は「私小説」といわれる体のものであったが、彼の小説への執着の持続は結局、彼が人間凝視の場を小説に設定していたが故のことであり、そして、その底には人間の魂を鎮めようとする祈りが籠められていたのではなかったかと思われるのである。

展示期間 平成9年6月22日(日曜日)から7月6日(日曜日)