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第12回企画展「岡本聴雨と津の文化 近世中期の漢詩と俳諧」

岡本聴雨(1749年から1814年)は、諱を景淵、通称を五郎左衛門といい、用人・加判奉行・加判家老などを歴任した津藩の重役でしたが、俳諧を茨木素因に学び、「俳諧は奇異の上手」と評された文人でもありました。その交友は津のみならず、広く松阪・相可・伊賀・大和・京などの文人たちに及び、津市北郊の聴雨山荘「佯聾山荘」には各地から多くの文人墨客が集い、あたかも漢詩・和歌・俳諧の文学サロンの趣をなしていました。

本展では、三重県立図書館新収の岡本聴雨資料を中心に、新たに知られる、江戸中期、寛政年間前後の津藩の文化を漢詩と俳諧に焦点をあてて紹介します。

岡本聴雨関係資料目録

岡本聴雨略年譜

和暦 西暦 年齢 内容
寛延2年 1749年 1歳 津藩士深井源太左衛門の次男として生まれる。
後、岡本五郎左衛門の養子となる。
明和元年 1764年 16歳 小姓役に召し出される。
安永5年 1776年 28歳 長水亭で歌人(素因、他)に連なる。
槍奉行となる。
安永7年 1778年 30歳 東鵞・坐秋編『笠と杖』に発句入集。
寛政元年 1789年 41歳 加判奉行となる。
岡本家の賓師として津阪東陽を招く。
寛政5年 1793年 45歳 『十八景需賦』成る。
寛政6年 1794年 46歳 橘南谿を山荘に招き、南谿『遊佯聾山記』成る。
寛政7年 1795年 47歳 『大慈山十八景詩歌発句名録』成る。
寛政8年 1796年 48歳 一揆蜂起の責を負って辞職。
寛政11年 1799年 51歳 貞律編『朝かほの秋』に発句入集。
享和元年 1801年 53歳 聴雨蔵の芭蕉出座俳諧一巻の紹介がきっかけとなって、秋屋編『花はさくら』刊行。
享和3年 1803年 55歳 嫡子梅涯没。享年29歳。
文化3年 1806年 58歳 用人となる。
文化5年 1808年 60歳 内室没。
文化7年 1810年 62歳 加判家老となる。
文化11年 1814年 66歳 7月2日没。龍津寺に葬る。

(参考文献/岡本勇『聴雨子句選』)

展示期間 平成10年2月22日(日曜日)から3月8日(日曜日)