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第14回企画展「磯部東流・長恒とその周辺」

江戸時代中期に鈴鹿市に生まれ、俳諧・和歌にすぐれて広く活躍した、磯部東流とその子長恒を県立図書館寄託の資料を中心に展示、紹介します。

平成10年11月29日 日曜日 から 12月20日 日曜日

午前9時から午後7時 (土曜日・日曜日・祝日は午後5時まで)

三重県立図書館2階 文学コーナー

はじめに

今回の企画展示は、平成8年に黒田久之氏より三重県立図書館に寄託された「磯部東流・長恒関係資料」(289点)から一部を紹介するものです。この企画展示を機に、磯部東流・長恒が広く知られますと共に、歴史的・文化的価値の高いこの資料群が、今後、研究・活用されれば幸いです。展示にあたり、寄託外資料も併せて出品いただきましたことを付記し、御礼申し上げます。

解説

磯部東流 岡本 勝(愛知教育大学教授)

磯部長恒 高倉一紀(皇学館大学助教授)

磯部長恒

寛政九年(一七九七年)、磯部誠利(東流)の子として生まれ、明治三年(一八七〇年)に没す。通称を良助・な右衛門、家号を松所、俳号を松菊という。早くより和歌の道に志して、山田の足代弘訓(あじろひろのり)、石薬師の佐々木弘綱(ひろつな)、江戸の井上文雄(ふみお)、当時大坂にあった萩原広道(ひろみち)等の指導を受け、また白子の沖安海(おきやすみ)、津の川喜田遠里(かわきたとおさと)ほか地元歌人との結ぴ付きも強かった。

家集を『磯(いそ)の藻屑(もくず)』と名付け、現存するもの四冊。慶応二年(一八六六年)の稿本には、その見返しに流麗な筆致で、

此のまゝに朽ちなばくちねかきつめし見るめだになきいそのもくずは

の一首が書き添えられている。ほかにも多くの詠草・短冊等を残し、佐々木弘綱の撰集『類題千船集』には二十数首が入集するが、その一二を拾うと次のようなものがあげられる。

岡寒草 結ぴてしかり寝の岡の草枕跡だにみえず霜がれにけり

晩頭鷹狩 狩くらしつかれのたかを手にすゑて交野の月をかへりみるかな

このうち第一首目「岡寒草」は、黒沢翁満(おきなまろ)の撰集『類題採風集』にも載録された秀歌である。また、彼は神戸藩主本多忠貫(ただつら)の和歌の師もつとめ、鈴鹿市山辺町の万葉遺跡に建てられた「山辺御井(みい)之碑」は、忠貫の撰文、長恒の揮毫とされる。しかし、佐々木弘綱の『竹柏園(なぎぞの)随筆』によると、実は碑文も長恒の代作であったという。

地域杜会における彼の貢献も、また忘れることはできない。長恒は和歌・和文のほかに俳諧、書、生花にも通ずるという風流人でありながら、一方では町年寄として伊勢街道高岡橋の架橋にも心血を注ぎ、困窮者の救済に力を尽くす行動的な知識人の一面をも覗かせる。こうした在野の地域指導者としての彼の側面についても、今後十分な検証と再評価の期待されるところである。