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第22回企画展「三重の食文化」

展示期間 平成14年10月1日(火曜日)から10月14日(月曜日)

あいさつ

第二十二回企画展「三重の食文化」展によせて

ようこそ「三重の食文化」展にお出で下さいました。

このたび、広く県民の皆さまに三重の食文化について、ご理解いただき、楽しんでいただければとの思いから、県立図書館との共催で、「三重の食文化」展を開催させていただくことになりました。

三重県は気候温暖で、北から中南勢にかけて広がる伊勢平野では、一年中緑が絶えないと言われるほど豊かな畑作物がもたらされています。東側は伊勢湾・伊勢志摩のリアス式海岸・太平洋に続く広大な熊野灘に面しているため、限りない海の幸に恵まれています。北・西・南側は標高1000mを越える鈴鹿山脈や大台山系とその間を流れ下る多くの河川からの山の幸・川の幸が彩り(いろどり)を添えて、豊かな食文化を育んで来ました。また、政治経済的には愛知県・岐阜県・滋賀県・奈良県・京都府・和歌山県に接していることから、都の文化や東国武士の文化が入り乱れ、食の文化においてもちょうど分水嶺の役割をして、発展してきました。

三重県の食文化は、地理的気候的経済的特徴から、五地域に分けることが出来ます。 北勢の食文化、中南勢の食文化、伊勢志摩の食文化、伊賀上野の食文化、東紀州の食文化です。そこに、中世以降盛んになった伊勢神宮への参宮にまつわる食文化が彩(いろどり)を添えてくれます。 また、食文化を生活の形態で分けてみると、ハレの食(お目出度い行事の食)、ケの食(日常の食)、ケガレの食(不祝儀の行事食)になります。用いられる食材は変わらなくても、用いられ方は明確な区別がありました。三重県の地域ごとのハレやケの食を調べてみると、その特徴が見えてきます。

最近は、食生活が豊かになって毎日がハレの日のようになり、また食生活が洋風化して食材の消費動向も変化してきました。このようなことは、子どもたちの健康や栄養の面からも、農業の先行きの面からも、そのほか教育的、食品衛生的、食糧経済的、精神心理学的にも多くの問題をもたらしてきています。

このような社会情勢の中で、食文化復興のきざしが高まってきました。

三重県においても、私たちは平成十年度に三重県生活部文化課の発案で、三重県の食文化に興味・関心のある者たちが集まり、そのあとみえ食文化研究会が発足しました。みえ食文化研究会では、今日までの四年間、三重県の食文化について、学習・調査・研究・教育活動・広報・社会参加などに努めてまいりました。

三重県の食文化は調べれば調べるほど奥深く、今回はほんの一端ですが、ひととき、図書を通じて、三重の食文化をお楽しみ下さい。

平成十四年十月一日 みえ食文化研究会 会長 成田美代

県立図書館では、今回の展示を「みえ食文化研究会」と共催することによって、「食」に関する図書の充実と関連資料の収集・発掘に多大の成果を得ることができました。更に次年度の展示にむけて、今後も「三重の食文化」資料の発掘と充実に努めていきたいと思っております。また、平成9年から本年(14年)までの6年間、毎年定期的に「食文化関連の蔵書」充実のために、多額の図書購入費を寄付いただきましたマックスバリュ中部(株)にも、この場を借りまして感謝の意を表します。

三重県立図書館

三重の食文化

三重県は気候温暖で、北から中南勢にかけて広がる伊勢平野では、1年中緑が絶えないと言われるほど豊かな畑作物がもたらされています。東側は伊勢湾・伊勢志摩のリアス式海岸・太平洋に続く広大な熊野灘に面しているため、限りない海の幸に恵まれています。北・西・南側は標高1000mを越える鈴鹿山脈や大台山系と、その間を流れ下る多くの河川からの山の幸・川の幸が彩り(いろどり)を添えて、豊かな食文化を育んで来ました。なかでも特に伊勢志摩地域のアワビをはじめ、貴重な海産物が豊富であることが、平安の昔から都人をして「御食国(みけつくに)」と呼ぱしめた所以でしょう。 また、政治経済的には、愛知県・岐阜県・滋賀県・奈良県・京都府・和歌山県に接していることから、都の文化や東国武士の文化が入り乱れ、食の文化においてもちょうど分水嶺の役割をして、発展してきました。

三重県の食文化は、地理的気候的経済的特徴から、5地城に分けることが出来ます。

北勢の食文化、中南勢の食文化、伊勢志摩の食文化、伊賀上野の食文化、東紀州の食文化です。そこに、中世以降盛んになった伊勢神宮への参宮にまつわる食文化が彩(いろどり)を添えてくれます。

また、食文化を生活の形態で分けてみると、ハレの食(お目出度い行事の食)、ケの食(日常の食)、ケガレの食(不祝儀の行事食)になります。用いられる食材は変わらなくても、用いられ方は明確な区別がありました。三重県の地域ごとのハレやケの食を調べてみると、その特徴が見えてきます。

三重の食文化に彩りを添える伊勢参宮に関わる多くの食文化は、『伊勢参宮名所図会』 (この和本は1797年に7巻8冊で出版されたもので、京都の三条大橋から伊勢街道経由志摩磯部町までの名所を281枚で紹介したものです。)のなかにも随所に見られます。道中の茶店の様子、店の前の往来の様子、いろいろな仕事をしている人々の生活の様子などから、当時の人々の息吹が生き生きと感じられます。茶店で休憩している旅人の食は、現在にも多くが引き継がれています。

また和本の中に、『珎術万宝全書』というのがあります。1823年大阪の伊丹屋善兵衛の出版で、6冊より成っています。これは、日常生活上の疑問に対し、珍術、奇術を用いて解決しようという、謂わば江戸時代のウラ技集とも言うべきもので、なかには「?」というのもありますが、科学の進歩した現代でも十分通ずるものがあります。食生活と関わるものとして、例えば「茄子を貯える法」「梨を貯える法」「万年浅漬けの法」「青梅の漬様」などの項目が並び、興味津々ですね。

このように三重の食文化は、歴史や歴史が培う人々の生活を縦糸に、また三重という地理的気候的状況と、それによってもたらされる地域の食材を横糸にして、三重らしく巧みに織り上げられる反物のように、連綿と織り継がれてきました。

食文化研究の復興のきざしの中、三重県においても平成10年から、三重県生活部文化課の発案で、「みえ食文化研究会」が発足し、学習・調査・研究・教育活動・広報・社会参加などに努めております。

北勢地方の食べもの(伝統的な郷土料理)

三重県の玄関口と言われる北勢地方は、西に鈴鹿山系を背とし、東に伊勢湾を望み、平地には木曽三川や鈴鹿川などが流れ、肥沃な土地に恵まれ、冬には鈴鹿おろしが吹きつける地域です。先人たちはこのような土地条件を巧みに生かし、いろいろな食べものや郷土食を育ててきました。北勢地方のうまいものと言えぱ、全国にも知名のある焼蛤・鯉料理・マスクメロン・伊勢茶などがあげられます。

デルタ地帯の肥沃な砂浜に生息する貝は肉質がやわらかく、特に春先は最高の味となります。また、桑名の殿様も好まれたと言う「時雨茶漬け」があります、最近では、漁獲量が少なくなった"しらうお"を使った「しらうおの紅梅煮」は高価ですが絶品です。 木曾岬町・長島町には、"昔、村の出合い仕事の後必ず作って食べた"と言われる「ぼら雑炊」があります。雑炊といっても、ぼらを入れた炊きこみご飯で、川越町では「ぼら飯」と言われています。

多度町には、鮒やもろこなど川魚を使った料理も多く、そのなかでも鯉料理は今も多度町を代表する名物料理になっています。 朝日町や川越町には、鮒と大豆を煮た「鮒豆」、川越町では昔、養鰻が盛んであった頃の名残りで「うなぎご飯」の郷土食があります。 鈴鹿の白子町や長太町の海では、こうなご、きす、いわしの漁獲量も多く、日常食として利用されました。郷土料理として「こうなごの卵とじ」、「こうなごのくぎ煮」、「いわしの押しずし」などがあります。このなかでも「いわしの押しずし」は、いわしを百匹、二百匹と購入し、祭祀や婚礼などの祝事に用いられていました。

北勢地方の平地(鈴鹿市、四日市市、菰野町)では米と畦豆、畑作には麦や大根、葉菜類、里芋が多く栽培されていたことから、米や大根を利用した郷土食があります。

桑名の「安永餅」、四日市の「なが餅」、鈴鹿の「立石餅」、亀山の「亀の尾」、関の「関の戸」など、餅菓子が数多くあります。鈴鹿・亀山では、正月の餅をついた後、「おろし餅」、「菜餅」を作り、家族こぞっていただきます。 大根を使った郷土料理には「大根炊き」、「ガリ」および「ガラガラおろし」、「干大根の粕汁」、「あほ炊き(大名炊きとも言う)」、たくわんの色や味の悪くなったものを利用した食べ方があります。 また、鈴鹿おろしの冷たい風を利用した食べものとして、四日市市の「大矢知そうめん」があります。農家ではこの寒風を利用して、干大根や干柿を加工してきました.あられやかき餅は、一月の、寒に入り雨が少なく、からっ風の吹く頃に作ります。この時期ならではのおいしさになります。昔の人の暮らしの知恵は、今も綿々と引き継がれています。

中南勢の食文化

中南勢の食文 化というテーマを考えた時、今回は世界的に有名な「松阪牛」と、津に鰻料理店が多いことを考え、「松阪牛」「うなぎ」の2点に絞り込みました。

高級和牛ブランド松阪牛を一括データ管理し、消費者に牛の情報や生産者の顔が見えるようにする「松阪牛個体認識別管理システム」を県松阪食肉公社がスタートさせたと伝えられ、この新システムはBSE(半海綿状脳症、狂牛病)対策の一環で、松阪牛一頭ずつの出生地や移動歴、血統などを識別し、松阪肉のパックに「松阪牛」シールが貼られ、消費者は購入した松阪肉の素性をインターネットで検索できるという、消費者にとっては安心して購入することができる目安となるでしょう。今年になって、松阪肉の偽装事件が相次ぎ報道され、川崎市のストアーでは、販売されていた松阪牛ロ一ス肉は「松阪牛ではない」と客が見抜いたという報道、この客は「牛ロースの霜降りは、雄は流れるように入り、雌はそうではない。松阪牛は雌だけなのに、商品の肉の霜降りは雄だから松阪牛ではない。」と見抜いたという。三重県人の私達も、知識として身につけたいものです。

海水と淡水が入り混じる河口で発達したのがうなぎ養殖。三重のうなぎ収穫量は全国6位から7位で、津市内外で多くのうなぎ料理屋が店を構えています。津では関西風の焼き方・味付けです。

伊勢志摩の食文化

伊勢志摩地域は、伊勢湾内に面した伊勢市有滝(ありたき)あたりから二見江(ふたみえ)の海岸あたりまでの浜辺では、細かな砂泥で波穏やかです。この海岸線には、宮川・勢田川・五十鈴川の河口が開け、それぞれの水系には肥沃な農地と町が広がっています。この肥沃な地に伊勢神宮の御薗もあります。

鳥羽市にはいると、山と海が接近して岩礁や島が見えてきます。二見と鳥羽の間に中央構造線が走っており、鳥羽から先、志摩そして熊野灘側は、岩礁と小島と入り江が多く、風光明媚な自然の良港をつくっているリアス式海岸が続きます。陸上はわずかな平地と急斜面につづく山々で構成されています。人家はへぱりつくように密集して部落を作っています。農地は潮風をうける段丘や斜面や谷間を利用しています。磯部町、南勢町では、温暖な湾内の段々畑にみかんを植え、甘味の濃いみかん栽培がされ、みかんの蜂蜜採取もされています。

製塩法をみますと、二見浦では伊勢神官の御塩殿があり、塩田で塩を作っていますが、太平洋側の熊野灘に面した南島町の竃方(かまがた)部落の製塩法は、竃を築いて海水を煮詰めて製塩していました。それで部落名に「竃」という字がついているといわれています。

水をみますと、伊勢湾内側の大きな河川にはいつも水がありますが、リアス式海岸の地域は、河口から水源までの距離が短いためか、ほとんどの川に水がなく、涸れ川で、雨が降ると川の水はいっきに海へ流れ出てしまいます。したがって地下水も乏しく、谷水なども貯めて生活用水に使っています。このように見ますと、一ロに伊勢志摩といっても、中央構造線を境に随分環境は異なっています。

伊勢志摩地域で、宮川・勢田川の河口の大湊(おおみなと)・神社(かみやしろ)は、造船の盛んなところでした。神社から勢田川をさかのぼると、河崎(かわさき)の問屋町があります。川沿いに問屋の土蔵がずらりと並び、船が着けられるようになっており、物資は、食料品をはじめあらゆる生活用品を取り扱っていました。船を使って、宮川の上流の宮川村へも、また志摩の各地へも生活物資を運び、河崎は「伊勢の台所」といわれるほど、この伊勢志摩地域の生活に重要な存在となっていました。河崎は伊勢商人の基地といえるでしょう。

伊勢志摩地域で伊勢は賑やかな町で、参宮客も多く大消費地となっていました。街道には、土地の生産物を活かした郷土料理が発達し、参宮客に喜ばれ名物となり、今も名物となっているものもあります。

伊勢志摩の海産物のなかで伊勢海老は有名ですが、あわぴは特別な意味を持って大切に扱われています。あわびには不老不死につながる昔からの伝説があります。数ある海女部落の中から選ばれた国崎は、熨斗鮑(のしあわび)の古式製法の伝承や、伊勢神宮へ熨斗鮑の献上が今も続けられています。神饌のなかで、あわびは特別の意味をもって筆頭に扱われているようです。詳しいことは図書を読んでみてください。

伊勢志摩地域の食べ物のことが記述されている図書を通して、人々がこの地で生きぬいていくために、怒ったり泣いたり笑ったり、命懸けの暮らしぶりとともにいろいろな角度から知ることができ、面白いためになる意外な発見があると思います。伊勢志摩と図書の魅力につながる新たな出会いがあると思います。興味のあることからぜひ読んでみてください。

伊賀地方の秋祭りとその食文化

10月に入ると、伊賀地方の氏神の秋祭りが各地で行われます。

伊賀地方の秋祭りは、頭屋(とうや)組織で営まれる祭りで、今もいくつかの祭りが伝承されています。頭屋を中心にした組織で祭りを運営します。氏子や組の者が、役割を分担して祭りの執行を助ける男子中心の祭りで、氏子達は正装して集まり、威儀をただして祭りの行事に臨みます。

頭屋の祭りは盛大な酒宴が密着して行われます。祭りの終わりの行事、慰労の酒宴「ラクサク」まで、「祭りはあとさき三日」と言われたそうです。氏子への酒飯の供応などで合計5日もかけての祭りは、頭屋の経済的、精神的負担も大きく、さらに少子化やその他の生活環境の変化もあって、簡略化は避けることのできない現実であったのです。

しかし祭りの行事に伴って繰り広げられた酒宴の膳や、頭屋の招客の膳、感謝と祈りを込めて供える宮膳、神に感謝し、収穫を喜ぶ氏子膳、家庭で祝う祭りの料理など、全てが重なり合って、伊賀地方の祭りの食文化が形成されてきました。

(一) 宮・膳と氏子膳

この地方の祭りでの食文化として、神饌を供える宮膳と、座拝で配膳される氏子膳があります。祭りが簡略化される以前は、膳狩りの行事でその年の氏子の数を調べて、氏子全員に配膳されたそうです。なお、座拝(ザハイ)とは、祭りの当日氏子一同が氏神にお参りした後の儀式(会食)で、氏子膳が配られることです。

ここではいくつかの珍しい膳とその献立を神社毎に紹介します。

1) 名張 積田神社秋祭り (11月2日、3日)

祭りの当日、神前に供える神饌を特に「じく饌」と呼ぴます。

  • じく饌(宮膳)の献立
    本膳:サバずし、アユ、エイ、里芋、かつお節。
    白蒸し:サバずし、キョオ、エイ、ユズの皮、ダイコンの茎と大根の銀杏切り・白木の箸。
    柿と栗:それぞれを竹串に刺して5本づつにまとめ、台輪(ダイワ)に挿す。
    キョオのホデ(装束):台輪の上に、おにぎり型のキョオを三段に積み上げて、周囲に竹串をたてる。上を紙で包み込んで藁で結ぶ。
  • 氏子膳(座拝の膳)の献立
    ウルメいわし、味噌汁、ダイコンの茎と大根の銀杏切りを檜葉上に置く、エイ、ユズ。
2) 名張 勝手神社秋祭り (11月1日、2日)

ここの祭礼では、膳の餅を氏子全員(内氏子、外氏子共に)に配る行事が今も続いています。11月1日の餅つき行事は一日がかりで大量に搗き、量初に搗く臼の餅は3重ねにしてカマド神へ供え、今日の餅搗きがうまくいくように祈ります。この時の夜食として、早くから準備した里芋で「芋汁」が炊かれます。

  • 神饌(宮膳)三種
    1. 木の葉に一重ねの餅と黄な粉
    2. コノシロずし、なます、くるびいも(里芋)。
    3. キョオ
  • 氏子膳(座拝の膳):餅、黄な粉、里芋汁。

(二) 珍しい神饌について

珍しい神饌や供物の名がそのまま、祭りの通称になっている祭りもあります。

1)コノシロ祭り (12月10日)

阿山音羽の佐々神社は式内社で、コノシロの生なれずしが神饌として供えられます。

  • 神饌(宮膳):コノシロずし、コノシロを漬込んだ時に樽の周囲に詰めた飯(三角に切る。)、赤飯。
  • 氏子膳 :コノシロずし、キョオ(赤飯を四角に抜く)、舟(コロッケ、スルメ、蒲鉾、黒豆)、神酒、箸。
2)なすぴ祭り (10月14日、15日)

上野市西山春日神社に合祀されている木尾(生)権現に約300年続く祭りで、二股のなすぴが珍重されて、なすぴの味噌煮を神前に供える珍しい祭りです。

  • 神饌 :なすぴの味噌煮、キョオ、シドキ(シラモチ)。
  • 氏子膳 :宵宮の座拝 - なすぴの味噌煮、神酒。
  • 本祭りの座拝 - キョオ、シドキ、神酒。

※注 キョオ :伊賀地方の秋祭りには伝統的に造られています。よく洗った餅米を蒸し、それを箱型で押し出して、三角や四角に造ったもので、神饌や氏子への配膳に用います。

※注 シドキ :石臼に水に浸した洗米を入れて、細かく砕いて粘りが出るまで搗いた(捏ねた)もの。色々な形に固めた食べ物で、神霊の御供(ゴク)とした儀式の食べ物。

3)小豆玉祭り (白山祭、12月14日・15日)

上野市蓮池木代神社に合祀されている白山神社に160年以上続いている祭りで、小豆王と呼ぶ珍しい神饌が供えられます。

  • 神饌 :小豆玉、キョオ、ゴポウ。
  • 氏子膳(衆詞、シュウシ):のっぺ、豆腐汁、カエリジャコ、小豆玉、キョオ、ゴポウ。

※注 小豆玉 :里芋と小豆を茄でて、里芋は軽く潰して小豆を混ぜて、塩味を付けたものを 半球状に作り、その表面に小豆を付けたもので、神饌として供えます。

※注 衆詞(シュウシ):座拝と同じような意味で、祭典のあとの直会(ナオライ)の会食。

(三) 伊賀地方の「食べもの」祭り

上記の祭りの他に、食べ物が関わる祭りとして、以下のものもあります。

倉部の大祭 伊賀町柘植 天満宮(10月18日)

  • 九日祭り 阿山町干貝(10月10日)
  • オイモ祭リ 上野市 小宮神社(10月9日)
  • 甘酒祭り 上野市外山公民館(10月20日)
  • 芋の祭り 上野市大内 子守神社(10月17日、18日)
  • ハマグリ祭り 名張市 蛭子神社(2月7日、8日)

このように伊賀地方の祭りは多彩です。また、名張の神社の秋祭りに見られる小祭りでは、今でも頭屋の庭で、赤い鉢巻きと前掛けをしめて千本杵の餅が搗かれ、古式に従った献立で、もてなし料理を作っている地区もあります。しかし、生活様式の変化や時代の流れに伴う祈りの心の動きは避けられませんが、「何もかも簡単にしたら、神さんに悪いし、失礼やでななァ」と語った人の言葉が耳に残ります。祭りを通して伊賀の人々のなかに「祭りの食文化」は勿論のこと、日本人の心のルーツを見る思いでした。

東紀州の食文化について

東紀州のイメージとして思いうかぶのは、尾鷲ヒノキの美林、紀伊長島港などに水揚 げされるカツオなどの新鮮な海の幸、熊野市から御浜町一帯の丘陵地に実る甘いミカン 、そして豪快に降る雨と、熊野古道などです。 東紀州の交通は、紀勢本線が開通したのが昭和34年7月、急峻な山々とリアス式海 岸に妨げられて最後まで尾鷲-熊野間はバス連絡と舟運でした。国道42号は、急坂と 深い谷間を繰り返す矢ノ川峡があり、全線拡幅整備が終了したのは、昭和43年4月で あり、遠くて知られざる地域でした。

東紀州は、熊野灘に面した海岸線の所と、山間部では、食文化は異ななる面もあるが、 主に山間地の食文化について言える事は、棚田をつくり、わずかの傾斜地から野菜をとる。 春は山菜が育ち、秋にはいろいろの木の実がなり、おやつとなり、山仕事で汗を流す。 狭い耕地から取れる限られた米や麦を食いのばすため、ふだんはさまざまなかてを加え かさをふやした茶がゆ。山仕事の弁当には麦飯や目はりずし、晴れの日にはさまざまな すしをつくって力をつける。さんまずし、独特のあゆのなれずし。海岸線から離れてい るから海の魚は普段はあまり食べない。さんま、かつお節、いわしの丸干し等、しびの 刺身は大山持ちが買う程度であった。しかし、耕地は少ないが、温暖な気候と降水量に めぐまれているため、少量でも多品種の農作物がいつでも収穫でき、工夫し、たくま しく生き抜く人々の生活に根ざした食文化が育っています。

伊勢神宮・参宮と食文化

江戸時代、伊勢参宮の旅人はどんな食事をしていたのでしょうか?

伊勢郷土史草第3号 江戸時代の参宮旅日記

弘化2年旧暦3月に大阪の商家の人々が伊勢参宮をした際の旅日記です。名張の宿を出て伊勢山田に着き太神宮に参拝する。参宮終了後宇治の御師、梅谷九大夫邸にて頂戴した料理献立です。

伊勢郷土史第7号 吉家の年中行事

安政年間に書写された吉家の旧正月の料理で当時吉家は、御師杉木新三郎の家来で明治の頃は高向村戸長をつとめた人もある。吉家の年中行事の中での料理の内容が大変詳しく記述されている。

日本の食生活全集 お伊勢さんとその周辺の食べ物

伊勢の料理屋、茶屋の味、お伊勢参りで賑わう町など庶民のごっつおう「伊勢うどん」のこと、太さ2、3分の手打ちうどん、たまり醤油とみりんを加えた濃褐色のたれ汁をかけてたべる、この色と太さとやわらかさにはびっくりする人が多い、薬味に生ねぎをきざんだのを少々のせるだけで、飾りっ気はまるでない、だしの味はこんぶとかつを節と煮干し、それぞれの店で独特のだしを用いる。伊勢に生れた人は「このうどんじゃないと、うどんを食べた気がしない」という。

伊勢で最も有名だったうどん屋は、古市町の『どぶ六」である、どぶ六は大安旅館の隣にあった。

名の由来は豆腐六のなまったものといわれる。おそらく先祖が豆腐屋であったのだろう。明治36年に「大安」が火事で焼失するまで繁昌していた。

大菩薩峠 間の山の巻

内宮と外宮の間にあるので間の山というのであって、その山を切り拓いて道をつくったのは、天正年間のことだそうである。この書の中でも伊勢うどんのことが記述されている。豆腐六のうどんは雪のように白くて玉のように太い、それに墨のように黒い醤油を十滴ほどかけて食う。「このうどんを生きているうちに食わなければ、死んで閣魔に叱られる」土地の人にはこう言いはやされている名物の「伊勢うどん」の記述がある。

伊勢神宮・遷宮とその秘儀 祝い膳・のし鮑つくり・干し柿つくり

伊勢参宮

宝永2年頃のおかげ参りの時には伊勢の山田では町々で施行のための仮小屋をたて赤飯粥・餅・茶などを振る舞った。

東海道(三) 御師邸大々神楽の奉納のあとの料理

本膳から四の膳までで鶴の羽根を竹につけたものをさし、下に鳥肉を置いたもの、鯛の塩焼きなど、膳のほかに六品があり、二見浦という干菓子も一箱ついた。

伊勢参宮略図 3枚 安藤広重画

「外宮拝殿玉串御門」「朝熊山・宇治橋」「高倉山・天の岩戸」

伊勢茶をあじわう

全国3位の生産量を誇る伊勢茶の歴史と食文化を紹介します。

「伊勢茶」とは、三重県で生産されたお茶のことをいいます。

三重県の生産量は、静岡県、鹿児島県に次ぐ全国第3位です。

今回展示されている書物は、伊勢茶の歴史と食文化が展示されており、一部を紹介させて頂きます。

展示した書物「香り豊かな三重の伊勢茶」を始め「水沢村郷士誌稿」や「背書国誌」 には、伊勢茶の起源が記載されています。

伊勢茶を語るときに欠かせないのが、「大谷嘉兵衛」翁です。翁は、現在の飯高町の出身で、日本茶業中央会議所を設立するなど、日本茶業界の基礎を築き、伊勢茶の振興に力を注ぎました。

展示した書物「大谷嘉兵衛傳」「茶聖大谷嘉兵衛翁と伊勢茶」にも、詳細に記されています。展示品は、平成13年10月、翁の生誕地・飯高町に建立された胸像の1/10のレプリ力です。

鎌倉時代の臨済宗の僧、栄西の「喫茶養生記」(展示書物)には「茶は養生の仙薬、延命の妙薬」と記されて、当時はお茶を薬として飲用していたことを示しています。最近では、飲用ばかりでなく原料にお茶を用いた伊勢茶製品もいろいろ販売されています。 お茶には、他の食品では得にくい貴重な成分がたくさん含まれています。代表的な力テキンには、がん予防、美容、ダイエット等、いろいろな効能があります。 お湯に溶けない成分を有効に利用するためにも、抹茶、粉末茶を使った料理にあなたも挑戦してみませんか?

展示書籍目録(当館所蔵文献一覧)

1.三重の食文化

  • みえ食文化研究会報告書(10年度は三重県、11年度からは、みえ食文化研究会より発行)平成10年度 味わおう 感じよう 伝えよう 三重の食文化
  • 平成11年度 三重の食文化〜こだわりを伝え、創る:東紀州の味〜
  • 平成12年度 みえの食彩発見
  • 平成13年度 三重の食文化-味わおう伝えよう三重の味・こだわりの味-きらっと輝く東海の食と農 東海農政局/編 農山漁村文化協会 2002年
  • 三重県とたべもの-今昔の史書と聞きかじりの食物誌- 大川吉崇 大川学園珎術萬寳全書 和装本6冊 1823年
  • 伊勢参宮名所圏會 蔀関月/編画 秋里籬島/撰 和装本6冊 1797年
  • 伊勢参宮名所圖會(日本図会全集 2期第4巻) 日本随筆大成刊行会 1929年

2.北勢の食文化

  • 三重の味 三重県観光連盟 1983年
  • わたしたちの村の行事と行事食 三重県農業技術センター農業改良普及所 1983年
  • 三重味の風土記 土肥久代 大橋学園 1984年
  • 多度町史(民俗) 多度教育委員会/編 多度町 2000年
  • 蛤の話 堀田吉雄、水谷新左衛門 光出版印刷 1990年
  • 三重県の伝統産業 三重フィールド研究会/編 三重県良書出版会 1980年
  • 歴史こばなし(第四集) 菰野町役場 1992年
  • 鈴鹿四季の味 岡野節子・堀田千津子 調理栄養教育公社 2001年
  • 広報「すずか」2002年6月5日 鈴鹿市

3.中南勢の食文化

  • 津のうなぎ 三重大 児玉克哉研究室 1996年
  • 三重の畜産 三重県農林水産部農芸畜産課 1997年
  • ザ 松阪牛 中日新聞三重総局/編 中日新聞本社 1998年
  • 和牛おもしろ雑話 木戸牛斎 創栄出版 1997年
  • 三重縣水産図説 東海水産科学協会・海の博物館/編 1985年
  • 三重県水産図解 東海水産科学協会海の博物館/編 1984年
  • うなぎを増やす 広瀬慶二 成山堂書店 2001年
  • ウナギの初期生活史と種苗生産の展望 多部田修/編 恒星社厚生閣 1996年
  • 伊勢志摩 27号 特集「松阪牛物語」 伊勢志摩編集室 1985年

4.伊勢志摩の食文化

  • 伊勢市史 伊勢市役所 1968年
  • 三重県の伝統産業 三重フィールド研究会/編 三重県良書出版会 1980年
  • 鳥羽藩政下の農村 松本茂一 新人物往来社 1984年
  • みえの畜産 三重県畜産課 1985年
  • 三重の水産 三重県商工水産部 1959年
  • 鞄(ものと人間の文化史62) 矢野憲一 法政大学出版局 1989年
  • 三重県の伝統料理 三重フィールド研究会編 三重県良書出版会 1982年

5.伊賀地方の食文化

  • 三重の祭と食文化 水谷令子 中部経済新聞社 1999年
  • 論集 三重のまっりと食文化 水谷令子/編 鈴鹿国際大学 1999年
  • 名張の民俗 名張民俗研究会/編 名張地方史研究会 1968年
  • 食べもの三国誌 大川吉崇 新人物往来社 1986年
  • 頭屋祭祀の研究 堀田吉雄 光書房 1987年
  • 三重県の祭り・行事 三重県教育委員会 1997年
  • 三重県の伝統料理 三重フィールド研究会編 三重県良書出版会 1982年

6.東紀州の食文化

  • きらっと輝く東海の食と農 東海農政局/編 農山漁村文化協会 2002年
  • 聞き書き 三重の食事 「日本の食生活全集 三重」編集委員会 農文協 1987年
  • 東紀州の食卓 東紀州地域活性化事業推進協議会 2002年
  • みえの食彩発見 みえ食文化研究会 2001年
  • くまのの味 熊野食文化を学ぶ会 1996年

7.伊勢神宮・参宮と食文化

  • 伊勢神宮(遷宮とその秘儀) 石川梵 朝日新聞社 1993年
  • 伊勢神宮 浜田寛/編 共同通信社 1986年(付録 広重の「伊勢参宮略図」)
  • 伊勢参宮 宮本常一 社会思想社 1971年
  • 汀戸時代図誌16(東海道3) 吉田光邦/編 筑摩書房 1976年
  • 伊勢郷土史草 第3号「江戸時代の伊勢参宮旅日記」 伊勢郷土会 1973年
  • 伊勢郷土史草 第7号 伊勢郷土会 1975年
  • 聞き書き三重の食事 「日本の食生活全集 三重」編集委員会 農文協 1987年
  • 大菩薩峠(第1巻) 中山介山 筑摩書房 1975年

8.伊勢茶と食文化

  • 大谷嘉兵衛翁傳 茂出木源太郎/編 大谷嘉兵衛翁頒徳会 1931年
  • 水沢村郷土誌稿(二) 三重県立図書館郷土教育資料
  • 緑茶革命 小国伊太郎/編 女子栄養大学出版部 2001年
  • 栄西喫茶養生記 講談社学術文庫 2000年
  • チャの絵本 飯野和好/絵 渕之上弘子/編 農文協 2002年
  • 香り豊かな三重の伊勢茶 東海農政局三重統計事務所 2001年
  • 茶柱タツの本 伊勢茶推進協議会 2001年
  • 伊勢茶の経済的研究 中野清作・松田延一 農林省農業総合研究所 1956年
  • 背書国誌 古屋久語 和装本2冊 1918年
  • 茶聖大谷嘉兵衛翁と伊勢茶 茶聖大谷嘉兵衛翁顕彰事業実行委員会 三重県茶業会議所 2001年