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第30回 三重県に関する教科書・副読本の今と昔

三重県の教科書と大正から昭和初期に各小学校で作られた郷土資料の紹介をしました。

  • 展示期間 平成13年7月10日(火曜日) から 平成13年9月6日(木曜日)

解説

三重県の教科書・副読本

わが国の学校教育130年の歴史の中で、その大部分は国定教科書・検定教科書が使用されていた。 そのような中で、三重県の地域限定型の教科書が編集される余地はないわけだが、明治初期に学校制度が始まって間もなくの頃は国定や検定の教科書がなく、一般書籍とはっきりした区別のないまま教科書として使用されていた。その時に、地元で一部教科書が編集発行され、明治19(1886)年、教科書検定制度が発足しても、しばらくは発行が続いた。

明治26(1893年)年、県は図書審査委員13人を任命し、教科書の審査を開始し、翌年4月より採択された教科書の使用が始まり、ようやく教科書が整備されることになる。明治の検定教科書時代に県内で刊行された教科書は、地理・歴史・習字の3教科のみで、展示本の中の『三重県地理教科書』『新撰三重県地誌』『三重県史談』の3点は、検定済み教科書である。

教科書疑獄事件(注1)を契機として、明治37(1904年)年より国定教科書(注2)の使用が始まり、地域の教科書は郷土教育に関する副読本へと変質していく。大正から昭和にかけて、県下各地の小学校区単位で、 郷土教育資料が作られていた(注3)。三重県に関する郷土教育資料も作られ、今回はそれを展示した。

郷土教育を大切にしていこうとする流れは、戦後の新しい学校制度の中にも受け継がれ、郷土の科学的な認識を深める目的で郷土教育資料が作られている。現在29市町のうち26市町で作られ使用されている。(注4)

注1:三重県視学官をはじめ、全国多数の府県の教科書審査委員等を中心とした、教科書採択に関わる贈収賄事件。

注2:修身・国語・算術・日本史・地理・図画のみで他は検定本。体操・手工・唱歌・理科は教科書の使用を認めなかった。

注3・4:この郷土教育資料は、地域資料コーナーの書架でいつでも閲覧することができます。

大正から昭和初期の小学校資料

地域資料コーナーの各所に置かれた2,000冊弱の黄表紙の複製本は、主として県内の小学校で収集した地域資料である。

戦前のわが国では、農村に文化施設などはなく、小学校が地域文化の中心であった。郷土史家と言われる人も教員出身者が多く、小学校に地域資料が残されていることが多い。この地域資料を借用して複製本を作り、三重県立図書館に保存することにした。

郷土教育資料

複製本の中心は郷土教育資料で、175点を収集した。郷土教育資料とは、大正末から昭和初年にかけて、郷土教育が重視された時期に、各小学校で作られた郷土資料である。内容は学区の歴史や地理から始まり、風俗習慣・方言・民謡・動植物・産業など、広範囲な内容を含んでいる。

内容の構成は、項目別が79、自然界と人文界に分けたものが52、教科別が44で、分布には地域的な特色がある。地域的な協議や指導があった模様である。年度別に見ると、昭和2年と3年のものが多いが、昭和天皇即位の御大典のとき、全県的な郷土教育資料のコンクールが行われ、出品するため各校で作られたようである。それならもっと多くの学校が保管していそうなものだが、半数あまりの学校では保存されていない。

保存している学校では校長室の金庫やロッカーから出てくることが多く、大部分は和紙に毛筆で書かれている。先人の本の丸写しもあるが、先生方が足でかせいだ調査記録も目立つ。調査結果を授業にどう展開するかについて、詳しい別冊を作っている学校もあり、授業に生かされる姿を知ることができる。

この資料の問題点は執筆者がスペシャリストでないため、不正確な部分があり、製作年度が書かれていなかったり、統計に年度がないので利用できないものもある。風俗習慣の部分では、調査年度が古いため現在の聞取調査では出てこない事柄も書かれており、民俗学の分野からは興味深い。

旧村誌・郷土誌

郷土教育資料の次に多いのは、135点収集した旧村誌、郷土誌の類である。印刷された郷土誌ではなく、和紙に毛筆で書かれたもので、製作時期は明治末が多い。明治末に政府の方針で旧村単位の村誌が作られたようで、小学校に保管されてきたのである。内容は動植物など理科分野が無い点を除けば、郷土教育資料と似ている。旧村誌や郷土誌は当時の郷土史家の労作であって、それなりに評価できるものと思う。

地誌取調書

近代国家を形成するには、行政資料が必要である。明治政府は旧村に定められた項目について調査を行わせ、二通の同文の報告書を作らせた。一通は内務省地理局へ送られ、後に東大へ移管され、大部分は関東大震災で焼失した。一通は地元へ保存されたが、長い年月のうちに失われたものが多い。市町村役場の支所や小学校などで発見されているが、今回の調査で34点を複製することができた。

学校沿革誌

これは学校が保管を義務づけられている書類の一つで、本来総ての学校が所持していなければならないものである。内容は人事移動や学校行事などの平板な記述が多いが、中には教育史や教育内容などに触れた、面白い沿革誌もある。そこで特色のあるもの22点を複製した。

小学校には校規というものがあり、学校管理の規則を集録したものである。これは敗戦時に焼却したため、ほとんど残っていないが、9冊を選び複製した。

また敗戦後、連合軍総司令部は教育民主化を目的とした多くの指令を出しているが、内務部を通じて各学校へ届けられた。この指令を集めたものがあったので、複製本を製作した。

その他

戦前の教育は神社と学校の結びつきが深かったが、11点の神社誌を小学校で見つけ複製した。

民俗学に興味を持った先生がいる学校では、見事な民俗誌を作ったところもある。戦後のものも含めて、8点を複製した。

昭和初年の世界恐慌のころ、日本の農村も疲弊が進んだが、農村振興のため様々な施策がとられた。そのときの記録が小学校に残っており、8冊の複製本を作った。

(注・この文章は平成6年、当時三重県立図書館職員であった徳井賢氏の書かれたものを一部修正したものである。)